産業の歩み

価格と利益競争

第一章 1845-1855 ②

技術の安定に伴い、ギャラリー間では価格と質の競争が始まる

1845年から55年にかけて、アメリカは大恐慌から抜けだし復興の兆しが見えていましたが、ダゲレオタイプにおいてもまた、産業革命の影響を受けた機械化や、それに伴うマネージメントの効率化、といった変化がありました。技術と訓練がよくなされ、この時期から精度の高いダゲレオタイプが生まれるようになりました。しかし、これはなにもダゲレオタイピストたちの努力によるばかりではなく、彼らを助け撮影以外を担うオペレーターの存在も大きく影響しています。この年代、オペレーターは組織化され、技術情報の交換なども積極的に行われていました。また、ダゲレオタイプに関する部品の生産、卸売りも飛躍的に発達しました。

作業工程の分業・専門化によって得た高い技術と生産性

ボストンのプランビー(John Plumbe)は1840年代半ばアメリカの14の主要都市(ニューヨーク、ボストン、ワシントン、フィラデルフィア、ボルチモア、ニューポート、サラトガ・スプリングス、ピータースバーグ、アレキサンドリア、ハロッズ、ブッシュスプリング、ルイスビル、シンシナティ、セントルイス、ドゥバック)にダゲレオタイプ・ギャラリーをチェーン展開しました。そして、複数のギャラリーを同じマネージメント下に据えることによって生じる、技術の共有と改良、資材の一括購入による経費の削減、広告費の削減などの利点を大いに活用しました。またプランビーのギャラリーは現地の他のダゲレオタイピストたちへの資材の販売も行い収益を上げていました。

大きな都市では技術者とギャラリーの増加によって競争が過熱し、ギャラリーのオーナーは技術者をいかに効率よく配置するか画策していましたが、ニューヨーク、ブロードウェーのリース・アンド・カンパニー(Reese and Company)のオーナー、リースは、彼が名づけたジャーマン・システム(German System)を紹介しています。これは、それまで一手に一人の人間が行っていた作業工程を各分野ごとに細分化し専門化するというもので、プレートの艶出し、露光、水銀加工、メッキ加工、着彩という全ての工程を分類しました。リースの発想は、後にフォードが自動車の製造工程を全て分類し生産効率の向上を図ったフォードシステムを発案するずっと以前ですから、ずいぶん進んでいたと言っていいでしょう。いわゆる、オートメーション化のためのマネージメントの第一歩です。

これによってプレートと顧客は、撮影から仕上がりを受け取るまで部署から部署へと移動することになります。また技術者は、全ての知識や技術を網羅する必要がなくなり、自身が担当する部署の専門知識を集中して研究することができるようになりました。このマネージメントの方法は生産効率を飛躍的に向上させ、1850年初期、彼の会社では一日に300人から1000人のポートレイトを写していたと記録されています。

価格と利益を守るための組織を設立

ブランピーと同じく1840年代終わりから50年代初めにかけてボストンで活躍していたウイップル(John Wipple)は、自身のギャラリーにそれまで手仕事であったヨウ素加工のためのプレートの研磨と艶出しの工程に、当時最も注目されていた蒸気機関を導入しました。また彼は、撮影の際、日差しの下に長く座り続けなければならない顧客たちのために専用の扇風機を設置し、これは特に重いドレスを夏でもまとっていた女性たちに大好評でした。その他のボストンのギャラリー、例えばSouthworth&HawesやMasury&Silsbyなどでも機械化を進めます。

しかし、産業革命の波に乗って多くのギャラリーが機械化で効率化を追求し生産効率が良くなり、そのため、この傾向は逆にダゲレオタイプの価格と利益に影響を及ぼし始め、結果としてダゲレオタイピストやギャラリー・オーナーは適正価格の基準を作ることになります。その中心となったのは、アメリカン・ダゲレオ・アソシエーション(American Daguerreo Association)です。この会は1851年7月から10月半ばにかけて会合を開き、さまざまなダゲレオタイプ撮影に関する規則を作り出しました。その一つには、安い価格で撮影を引き受けるような広告を出してるものはメンバーにはなれない、という規則がありましたが、後の会合において規則を改定し、1.5ドル以下では撮影を行わない、という具体的金額も示されました。

顧客をしぼり込む工夫から誕生した独自の撮影アプローチ

価格競争が激化する一方で、ボストンやニューヨークでは優良な顧客も生まれ始めていました。彼らは、顧客のターゲットを裕福層に絞り、ギャラリー内に高級な家具を設え、美しい内装を施し、単なるポートレイトではなく、アーティステックな要素をその仕事や環境に取り入れました。こうしたギャラリーは先の生産効率を求めるギャラリーとは一線を引いており、顧客を部署から部署へと移動させるようなことはせず、丁寧にもてなし、独自のポートレイトのスタイルを生み出し、そうした戦略的要素は、もちろん価格に反映されました。ブレディ(Mathew Brady)、ミード兄弟(Charles and Henry Meade)、ローレンス(Martin Lawrence)、ガーニー(Jeremiah Gurney)、アンソン( Rufus P. Anson ) などのギャラリーがこれにあたります。

中でもアンソンは、1852年ダゲレオタイピストとして撮影をはじめ、1853年から1860年代終わりにかけて589 Broadwayにダゲレオタイプ・ポートレイト・ギャラリーAnson gallery を所有し、1860年代には15名のダゲレオタイピストを雇用していました。顧客はニューヨークに暮らす裕福層で、目の肥えた顧客によって彼のギャラリーは鍛え上げられます。アンソン・スタイルとも呼ぶべき被写体へのアプローチは、ノーブルなアメリカン・ポートレイトのスタイルの代表として、多くのダゲレオタイピストのみならず、現代に至るまでアメリカのポートレイト作家たちに影響を及ぼしました。

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