産業の歩み

東海岸の発達・資材商の淘汰と薬品メーカー

第一章 1845-1855 ④

地理的な好条件から、あらゆる産業の施設が東海岸に集中

1850年代、スコビル、アンソニー、チャップマンを含む資材商のほぼ全ては、東海岸沿いのボストン、ニューヨーク、フィラデルフィアに集中して位置していました。しかし、この大手三社を除く業者はまだまだ非常に小規模で、単独では個人のダゲレオタイピストたちへの流通を確保するまでには至らず、小売へ結びつくチャンスはなかなかありませんでした。ですので全ての施設が一箇所に集中し、そこに所属していることは写真産業全体のみならず、特にこうした小規模の業者にとって大変に重要なことでした。写真の人気の高まりとともに、写真資材市場も急伸していましたが、撮影には非常に特殊な小規模な業者しか扱っていない特化した薬品を含む多品目かつ大量の資材の流通が必要であったためです。

と同時に、東海岸は、物流の要となる鉄道とテレグラフも発達しており、この場所は、地理的にも輸送が容易であるという好条件が揃っていました。そのため、他の業種の施設も、ボストン、ニューヨーク、フィラデルフィアに集中し、東海岸はますます発展することになります。そして、中でも特に重量が軽く高価な写真資材のような交易は、海外への輸出も含め産業としての確立が急がれていました。

写真産業を拡充させた資材商たちの努力

しかし、写真市場の確立を推し進める一方には、解決しなければならない別の問題がありました。それは、顧客となるギャラリーやダゲレオタイピストたちの多くはまだ貧しく、資材の購入を勧めるためには売掛を適用しなければならないにも関わらず、彼らには信用も、これといった担保もなかったのです。そこで1840年代にはじまった国の信用保証調査制度を利用せず、ニューヨークの資材商が集まり、資材を購入したいダゲレオタイピストたちの信用保証調査を地方の資材商たちに独自に行わせるようになり、まじめなダゲレオタイピストたちに積極的に資材を卸すよう働きかけました。

また、この調査は現代でいうところのマーケティングとしても機能し、大手三社はそのデータから、さらに堅牢かつ顧客ニーズに合った製品を作ることができる、という思わぬ副産物も生み出しました。また、それらを通じて、薬品や機材の使用方法を積極的にアピールすることもできました。資材商のこうした積極的な姿勢は、写真産業を全米に拡充する大きな力となったのです。

1840年から50年にかけてダゲレオタイプは一世を風靡し、東海岸には多くの新しい専門業社や資材商が生まれ、新旧に関わらず同じくらい多くの業社がつぶれ(*1)、最終的には数社のみが生き残りました。特に銀板に関してはその典型で、ほぼ全てが潰れ、1850年にはスコビルのみが銀板を製造していました。その後、銀板の製造に、ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィアで5社の資材商が登場しましたが、1855年にはやはり2社を残すのみとなっています。

そして輸入もののフランスの銀板メーカーとスコビルは熾烈な競争を繰り広げ、銀板の価格は1ダースがフランス製で2ドル、アメリカ製で1.40ドルまで降下しました。1850年代、銀板の市場を独占していたのは、一社はスコビル、もう二社は、現代でも銀器のハイブランドとして著名なフランスのチャールス・クリストフ(Charles Christofle/Scaleブランド)とアレクシス・ゴーデン(Alexis Gaudin/スターブランド)でしたが、この2社の参入により、スコビルによる市場の独占もなくなり、同時に、スコビルを含むアメリカの資材商たちは危機感を覚えるとともに、多くの技術的、経営的改善を行いました。

化学薬品メーカーも写真マーケットに注目

主だった薬品に関しては、1840年から1850年代、塩化金、ハロゲン、ハイポ、硝酸銀など同じものが使用され、ヨウ素は昆布灰の液から、臭素は塩水から抽出されていました。また、チオ硫酸ナトリウムは炭酸ナトリウムと酸化硫黄との混合から作られていましたが、50年代に入りイギリスでもっと安くソーダ精製の工程でアルカリを解析することによって得られことがわかり、この方法が利用されるようになりました。

1850年代、アメリカのみならず写真は化学薬品メーカーや薬品のマーケットでとても大きな位置を占めており、どの化学薬品メーカーも写真に関連する薬品には特に力を入れていました。フィラデルフィアのGarrigues&Magee、ボルチモアのAndrew&Thompsonなどもそこに加わり、また、ペンシルベニアのアルター(David Alter)、エドワード(Edward)、グリスピー(James Gillespie)らは臭素をアメリカでいち早く商品化し、彼らの製品はアメリカ中を席巻しました。

ニューヨークのアンソニーはまだ写真用の薬品の製造は行っていませんでした。当時、多くのアンソニーの販売していた薬品はアメリカまたはヨーロッパの薬品を詰め直し、アンソニー・ブランドとして販売していたものです。化学薬品の扱いは特殊かつ複雑で化学薬品産業そのものが発展途上にあったわけですが、薬品に関してはわずか数社がほぼ市場を独占していた、と見ていいでしょう。


*1 Anthony, Clark, and Co. N.Y.C. 1846-51 ; Levi Chapman N.Y.C. 1851-56 ; Louis L. Bishop N.Y.C. 1851 ; Benjamin French Boston 1848 ; A. Beeckers and V. Piard Philadelphia and N.Y.C. 1851-55 ; Holmes, Booth & Hayden N.Y.C. 1854 ; John W. Norton N.Y.C. 1856 ; Jones and Co. N.Y.C. ; Pemberton and Co. Conn. >戻る

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