人々の歩み

プロフェッショナルの入り口で

第一章 1839-1845 ⑧

知識や情報の交換も困難だった初期のダゲレオタイプ

ダゲレオタイプが登場し、人類は像を残すことのできる新たなパラダイムの第一歩を歩きはじめました。その後、ダゲレオからフィルムへ、フィルムからデジタルへと私たちは次々と新たなパラダイムの扉を開けることになりますが、どの移り変わりの時期もそうであるように、パラダイムの変わり目には新たな技術に戸惑う人たちが大勢いると同時に、互いが知識や情報を交換しながら少しずつシステムを組み上げ、パラダイムの中心の安定期へと移動してゆきます。ダゲレオタイプ期、特にその初期はゼロからのスタートでしたから、知識や情報の交換もなかなか困難なものがありました。

初期のダゲレオタイプにおいては限られたインフォメーションに頼るしかなく、慌しいトレーニングを行うばかりで、プロフェショナルなダゲレオタイピストとしてダゲレオタイプを売りたい人々が実際に十分に満足行く結果を得ることはとても困難で、ほんのわずかな人々が多少成功した程度でした。けれども、初期のダゲレオタイプがこうした三流の結果となったのは、何も個人的な問題ではなかったのです。

例えば1843年の夏、アダムス(John Quincy Adams)は、 旅の途上で幾度となくダゲレオタイプを試みた時の様子について「ジョンソン氏を訪ねる途中にベーコン氏宅を訪れ、彼のポートレイトを撮影したが、どれも見るもおぞましい結果となった。」と記しています。そして、この結果についてアダムスは自分だけだろうと頭を抱えたのですが、その数週間後「シンシナティのヘンリー氏宅を訪ねる前にダゲレオタイプ・オフィスがあったので立ち寄ってみた。三人の技術者がそこにいてダゲレオタイプを見せてくれたのだが、どれも 私と似たり寄ったりの悲惨な結果のものだった。私だけではない。誰も成功していない。」と述べています。

ダゲレオタイプは副収入を得る「手段」と考えた人々

先に見たように、初期のダゲレオタイプは化学の素養のある人々が中心となっていましたが、彼らはダゲレオタイプを化学研究の対象と捉えており、教えるということ自体に興味がありませんでした。

そして、彼らの後を着いて行こうとするグループの多くは、生活の足しにアートのプロセスを学ぼうとする才能に恵まれない男たちでした。彼らは本業が他にあり、ダゲレオタイプを副収入を得る手段ぐらいにしか考えておらず、それを独学で研究したいわけではありませんでした。彼らは学ぶということに対してなにも投資せず、多くの時間を割くこともなければ、困難な技術を学ぶ必要性も感じていなかったのです。オハイオ州クリーブランドの写真家レイダー(Ryder)は当時のこうした様子について、次のように書き残しています。

歯医者や馬の蹄鉄を交換するリペアーやその他のありとあらゆる業種の者たちがダゲレオタイプを副業にしていた。メタル業や靴の修理工ですらである。馬のひづめを修理したり、靴を修理したりしている連中がダゲレオタイプを写したのである。疑うべくもなく、彼らのアーティストとしての努力と品格はそこには微塵も感じられない。

レイダーの記述に登場するのは小さな町に暮らすダゲレオタイピストでしたが、彼らは、騙されやすい村人たちにダゲレオタイプがまるで手品であるかのように見せ、押し売りしていました。プレートを準備したり、仕上げたりする際、即席のダゲレオタイプ・プロセスはその家のクローゼットを利用していましたが、それは確かに手品のようにも見えたのです。彼らはまた、ドクターやプロフェッサーという肩書きを勝手に使い、この肩書きはクローゼットと同じように彼らの隠れ蓑でした。

手品のように見せ、失敗すれば言い訳

しかし、こうしたプロフェッサーたちはいつまでもクローゼットの中に引き込もっているわけにはいかなかったのです。なぜなら、引き続き失敗した理由を説明する必要があったからです。失敗の言い訳で最もよく使われたのは「動いた」「表情が緊張しすぎていた」「深く息を吸いすぎた」などで、写る側の責任に全て転換されました。そして、現代ではむしろ問題の目つぶりは、露光時間が長かったため、よく起こる仕方ない事、としてさほど問題ではありませんでした。

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安友志乃 Shino Yasutomo

文筆家。著書に「撮る人へ」「写真家へ」「あなたの写真を拝見します」(窓社刊)、「写真のはじまり物語 ダゲレオ・アンブロ・ティンタイプ」(雷鳥社刊)がある。アメリカ在住。

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