人々の歩み

プロフェッショナルの登場 ガーニー

第二章 1846−1855 ④

賞賛を浴びるブレディの前に現れたライバル

1850年代に入ると、どの大きな都市にも美しいダゲレオタイプを作るダゲレオタイピストが登場しますが、世の中が恐慌からの復興の途中であることに変わりはなく、新しい職を見つけることはとても困難でした。ですから、こんな状況の中でプロとして活躍するブランピー、アンソニー、ブレディへの賞賛はひとしおでした。

そして、1850年代の終わりには、50歳以上でダゲレオタイプを専業とする、と職業申告した人口は938名となりました。思ったよりも少ないと感じるかもしれませんが、これは専業人口で、多くは先に述べたようにダゲレオタイプを副業としていました。60年代に入るとダゲレオタイプ専業者数は50年代の約3倍となります。つまり、50年代のうちに2000人近くがおそらく副業としてダゲレオタイプを習得しようとしていた、と見ていいでしょう。

つまり1850年代は、ダゲレオタイピストの競争が一気に激化したわけですが、それまで、優勢を保っていたブレディでさえ実際この競争を勝ち抜くことは難しくなっていました。中でも強力なライバル、ガーニー(Jeremiah Gurney)が現れたからです。ガーニーはサラトガで宝石を扱っていましたが、ニューヨークへ移り住みモールスにダゲレオタイプを学び、ダゲレオタイピストに転向しました。そして、1840年ブロードウィーにギャラリーを開き、一人5$で撮影を開始します。

極限まで色調を引き出した究極的に美しいダゲレオタイプ

ガーニーはダゲレオタイプ・プロセスにおいて極限まで色調を引き出すことを追求し、究極的に美しいダゲレオタイプを作り出しました。彼は、クライアントをニューヨークに暮らす政治家やセレブレティの中から選りすぐり、時代を象徴する選りすぐりの人々、と呼び、ブレディに対抗しました。そして、最も素晴らしいダゲレオタイプを作る人物として知られるところとなります。彼の輝かしい仕事ぶりについては1846年12月5日付けThe Scientific Americaや1853年New York Illustration Newsなどで取り上げられました。またアメリカのみならず、ロンドンのクリスタル・パレスにおいても作品が展示され世界中でその名を知られるところとなります。1858年には770 Broadwayに三階建ての真っ白い総大理石のスタジオを建てます。ガーニーはブレディと同じように当時の写真家たちを牽引しました。

余談ですが、アンソニーは当時、ガーニーとブレディそれぞれにスペシャル・エディションのダゲレオタイプ・ケースをデザインし納品しています。ガーニーは大いに成功したと同時に、彼のギャラリーは長男ベンジャミンへと引き継がれました。

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安友志乃 Shino Yasutomo

文筆家。著書に「撮る人へ」「写真家へ」「あなたの写真を拝見します」(窓社刊)、「写真のはじまり物語 ダゲレオ・アンブロ・ティンタイプ」(雷鳥社刊)がある。アメリカ在住。

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