人々の歩み

世界を牽引するアメリカン・ダゲレオタイプ

第二章 1846−1855 ⑤

アメリカで急速に普及・洗練を遂げたダゲレオタイプ

ダゲレオタイプがアメリカに登場してから約10年、多くの化学者、そしてこの技術に興味を持つ一般のダゲレオタイピストや資材商によって、ダゲレオタイプが全米に定着してゆくためのインフラはほぼ整った、と言っていいでしょう。1850年代のアメリカの写真界は、その十年間の蓄積を土台に、全てを洗練させ、写ることの楽しみを人々が広げて行った時期でもありました。

ダゲレオタイプの普及と拡大は、なにも都市部のダゲレオタイプ・パーラーの増加によるばかりではなく、暗室とスタジオをかねたダゲレオタイプ・サルーンと呼ばれる馬車や、川を利用したフラット・ボート・ギャラリーという撮影用ボートが内陸部の小さな町に登場し始めたことにも大きく影響しています。

Magic No3.と言う名のボートのオペレーター、シンプソン(Sam.F.Simpson)は、当時の様子をこのように記録しています。

「私たちのフラット・ボートは本当に使い勝手良く出来ていた。前面にはまず待合室、そして撮影用のスペースには片側からスカイライトの入る大きな窓があり、好天候であれば5秒から10秒の露光で撮影が可能であった。仕事のある時は撮影に集中して、ない時には釣りや狩りが楽しめる。川の周りにはいくらでも鴨がいた。1853年3月初旬、私はアルバーニーを出発し、およそ50ヶ所に立ち寄り、のべ1000枚を撮影した。そして1600マイルを旅し、6月にはフランス語を喋る者たちのいるニューオルリンツという町に到着した。」

途中は釣りや狩りが楽しめる2500キロ、3ヶ月の船での撮影旅行はなんとも優雅です。

その他にも、1853年のNew York Daily Tribuneには年間3万枚のダゲレオタイプが写された、とあります。この数字に確証はありませんが、しかし、急速にダゲレオタイプが普及して行ったことは確かです。

世界が認めたアメリカの高い技術と美意識

さて、1851年から54年にかけてはダゲレオタイプの最盛期にあたりますが、この時期、世界で最も優れたダゲレオタイプが作られていたのがアメリカであったことは誰もが認めるところでした。1851年、イギリスのクリスタル・パレスで行われたグレート・ワールド・フェアーにおいて、世界のダゲレオタイプが一堂に集められる機会がありましたが、この時の様子についてThe Illustrated London Newsの評論家は「評議会は慎重な審査と審議の結果、アメリカが最も優れていると判断した」と伝えています。

中でもスーパー・ダゲレオタイプとも言うべき品格のある完璧な仕上がりのダゲレオタイプを作成したのはブレディでした。ブレディは現代のアメリカのポートレイト写真家たちにも非常に尊敬されていますが、彼はこの時、48点の無彩色のダゲレオタイプを展示し、人物の背景になにも置かず、人物そのものを見ることに集中させる、ノーブルでエレガントなアメリカン・ポートレイトのセオリーとも言うべきスタイルをすでに築いていました。ホワイトハースト(Whitehurst)によるチャーチル家の一連の家族のポートレイトは非常に美しく、ナイアガラのシリーズはアメリカの工業の規模と力強さを十分に示しており、ハリソン(Harrison)によるダゲレオで作られた標本もまた見事なものでした。また、ウイップル(John Adams Whipple)の撮影した月のダゲレオタイプは、科学者たちの関心を大いにひきつけるとともに、新たな時代の幕開けを予感させました。その昔、1840年の初春、ドレーパーが月のダゲレオタイプを写しましたが、ウイップルのそれは、ドレーパーの写した月とは比べものにならないほど大きく鮮明なもので、世界の注目を集めるには十分でした。

そして、こうした高い技術と洗練された美意識に基づいて制作された大量のダゲレオタイプがアメリカから持ち込まれ、クリスタル・パレスの会場の中で際立った展示面積を占めていたのです。ロンドンのNational Intelligencerの記者は「アメリカのダゲレオタイプが最高であると誰もが口々に賞賛した」とも記していますが、それはなにも言葉尻だけではなく、実際に三つのメダルは、ニューヨークのブレディ(M.B.Brady)とローレンス(M.M.Lawrence) 、それにボストンのプルシア(John.A.Prussia)と、全てアメリカのダゲレオタイピストが、ダゲレオタイプ発生の地であるフランスをはじめ、イギリス、オーストリア、ロシア、ドイツを退け授与したことにも現れています。

1853年アメリカを訪れたイギリスのダゲレオタイピストは「アメリカのダゲレオタイプは母国のものより遥かに鮮明である」と記し、また、フランスのハンプリー・ジャーナル(Humphrey's Journal)の記者は「どの国のダゲレオタイプもアメリカにひどく遅れをとっていると言わざるを得ない」とアメリカのダゲレオタイプの様子を伝えています。ヨーロッパのダゲレオタイピストの中には「アメリカン・プロセスによってダゲレオタイプを撮影いたします」と広告をうつ者も現れました。そして実際、最も著名なロンドンのダゲレオタイピスト、メイヤール(Mayall)、パリで多くのダゲレオタイピストたちを牽引していったトンプソン(Thomson)もアメリカ国籍でした。

溢れ返る入植者と不況が進めた産業化

アメリカが群を抜いて優れ、世界のダゲレオタイプを牽引したのは事実でした。その最もな理由は、溢れ返る入植者と歴史的な不況と産業革命が同時に起こっている中で、皆が職を探し求め、その可能性があれば全てを産業化していったことにあります。そして、より均一の製品を大量に生産し続けるために手仕事から工業へと産業の形態が進み、その速度は他のどの国よりも速かったのです。

先のイギリスのグレート・ワールド・フェアーの評価の中で、最も多かった賞賛は「Brilliant」という言葉です。これは、眩いばかりの、という意味ですが、そこに出品したアメリカのダゲレオタイピストたちの銀板は、どれもみな確かに眩いほどに輝いていました。どの国でもまだ手作業で銀板をバフ仕上げしており、いくら丹念に磨き上げても筋やムラが残っていましたが、アメリカではすでにパワードライブを使用しバフ研磨と銀板の仕上げ磨きを行っていたからです。バフの技術はまた、完璧にフラットな表面を産み出すとともに、感度を上げるうえでも非常に役に立ちました。

中でも、ことダゲレオタイプに関して、ボストンは一番進んでいました。サウスワース・アンド・ハウス(Southworth and Hawes)、マシュリー・アンド・シルズビー(Masury and Silsby)、ジョン・アダムス・ウイップル(John Adams Whippel)は、特に尊敬されていました。彼らの仕事は、他のどの国のダゲレオタイピスト達とも異なっていました。例えば、ウイップルは蒸気をほぼその全工程の装置に利用して、暑い日の顧客のために扇風機を蒸気で動かし、蒸気を利用して銀板を掃除し、磨き上げ、蒸留水を作り、銀板をすすぎました。そして、ニューヨークでもフィラデルフィアでも、ダゲレオタイプをリードする都市はボストンをコピーしていました。つまり、全てがボストンの技術をコピーすることで底上げされたわけですが、これらの要因はまた逆に価格の低下へとつながりました。

豪華なダゲレオタイプ・パーラーに、パリやイギリスからも視察が

アメリカは、フランスやその他の国とすでに大差をつけていましたが、中でも一番出遅れていたのはイギリスでした。ダゲールがパテントを通過させ、ビアードがそのサブライセンスを独占していたため、ダゲレオタイプの人口も少なく、当然のことながら進歩することはありませんでした。ニューヨークにすでに100名近くダゲレオタイピストがいた時期、ロンドンにいたのはわずか7名ほどでした。結果として、イギリスのダゲレオタイプは評論の壇上にすら上がることはなかったのです。

1850年代、ダゲレオタイプ人口はアメリカ国内において飛躍的に成長し、ダゲレオタイプ・パーラーは主要都市を中心にどんどん広がって行きました。ニューヨークのブレディとローレンスは1853年さらにパーラーを増やし、ウイップルとハウスはボストンとフィラデルフィア、それぞれの都市で最大のパーラーを所有していました。ルーツ(M.A.Root)とマックリース(McClees)とガーモン(Germon)は多くのダゲレオタイピストを牽引し、ホワイトハースト(Jeesh Whitehurst)は、パーラーを多くの都市にチェーン展開し非常に著名でした。

当時、パリやイギリスから多くのジャーナリストがアメリカのダゲレオタイプ・パーラーに視察を兼ねて取材に訪れていますが、そのうちの一人、パリのザ・フレンチ・フォト・ジャーナル(The French Photo Journal)のジャーナリストは次のように書いています。

アメリカのエレガントに装飾されたダゲレオタイプ・ルームの数は急速に拡大している。その室内は大理石が敷きつめられ、柱には彫刻が施され、高価な油彩が壁には飾られている。美しいカーペットは顧客の足音を静め、そこはまるで優美な鳥かごのようだ。エキゾチックな植物の花の香りは、その和かな日差しの中に漂っている。これがアメリカのスタジオである。全てが優雅さと品格に満ち溢れ、医者や弁護士や政治家たちですらこの場所では穏やかな時を過ごすことができる。撮影料が高価であることは納得せざるを得ない。

こんなふうに豪華なパーラーがアメリカの都市の至る所にありました。

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アメリカの初期の写真、ダゲレオタイプ、アンブロタイプ、ティンタイプを、当時の人々の暮らしぶりと重ね合わせながら巡って行きます。写真はどのように広まったのでしょう。古い写真とみずみずしいイラストとともにめぐる類書の少ない写真文化史的一冊です。写真を深く知りたい人に。

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写真:安友志乃

安友志乃 Shino Yasutomo

文筆家。著書に「撮る人へ」「写真家へ」「あなたの写真を拝見します」(窓社刊)、「写真のはじまり物語 ダゲレオ・アンブロ・ティンタイプ」(雷鳥社刊)がある。アメリカ在住。

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