
撮影を楽しむスペシャリストたち
写真業界には数多くの撮影ジャンルがあり、それぞれの分野で活躍するスペシャリストたちがいる。
この連載では、フォトグラファー中野敬久氏が毎回気になるスペシャリストにインタビューを行ない、その分野ならではの魅力や、撮影への向き合い方を聞くことで、“撮影を楽しむ”ためのヒントを探っていく。
Vol.05
市橋織江の切り取り方
▼今回のSPECIALIST
市橋織江(いちはし・おりえ)

写真家。1978年生まれ。広告写真、グラフィック、エディトリアルなど多分野での撮影を手掛ける。TVCM など シネマトグラファーとしても活動し、映画やドラマでの撮影監督も務める。また写真集や写真展での作品発表も行なっている。
ものを見る時は無意識に「空間」で認識し、
切り取る際のバランスをとる癖があります。
中野 写真には「近景と遠景」があると常々感じていてるんです。僕はポートレイトで近景をずっと撮ってきたためか、遠景がすごく苦手なんです。遠目で見た時に何をフォーカスさせるのか、風景の中にポンっと人がいた時の表現に難しさを感じるんです。市橋さんはそこがすごく上手でいらっしゃるので、どんな感覚や考え方に基づいているのか知りたいと思っています。
市橋 私の場合、近い、遠いに限らず、ものを見る時はまず「空間」で認識するんです。今、お話している時も、上の窓から光が入って、右側に赤いものがある、こう切り取ったらバランスがいいな…みたいなことを考える癖があって。普段歩いている時も無意識に空間で切り取って見てしまう感覚があります。
中野 風景の場合は理解しやすいのですが、ポートレイトはどんな意識で撮影しているのでしょう?
市橋 人を空間の中に入れて撮るという感覚です。
中野 空間が先にあって、そこに人をはめていく感覚ですか?
市橋 そうですね。特に仕事では被写体が入る前段階で、その姿を想像して空間を作っていきます。
中野 シンプルなペーパーバックでも、空間を作る演出があった上に人が入っているということですね。まるで想像の世界をビジュアル化するような作業。
市橋 中野さんは人を撮るのがお好きだと思いますし、人との向き合い方は憧れます。怖くないですか?
中野 犬のように人が好きなので(笑)。今までのお話からすると、市橋さんにとって人を撮影する場合、映像を回している方が楽ということですよね。フィクションの世界で勝手に動いてくれるわけですから。
市橋 それに、場の空気を作るのはディレクターの役割であることが多いので、切り取ることに専念できる点でやりやすいかもしれません。映像だとそこまで人間性を追求されませんが、写真だとそれが大事じゃないですか。
中野 確かに写真ではどうしても「向き合う」ことが必要になってきますが、映像だと置いておくことができるのかもしれません。しかし、そこまで意識してなかったですね。
市橋 意識しないでやれるのがもう特技というか! 撮影されてるところを拝見したいです。
中野 それは緊張しそうです(笑)。話は変わりますが、空間が先にあるという撮影の考え方は、市橋さんならではだと感じます。何かの影響だと思いますか?
市橋 切り取ることについては、あまり具体的に思いつかないのですが、自分の感情が揺さぶられる要素として、幼少期の体験があります。母親が旅行ガイドブックのライターをしていたので、美術館や宿泊施設などについて回り、色んな季節や色んな場所を旅行した体験がすごく楽しかったんです。あと、本を読むことが好きでしたね。旅行をした時に「この光景見たことがある」と思ったら読んだ本の世界観に似ていると感じたり。
中野 本の世界と見たものが合致しちゃうみたいな。
市橋 そうですね。目の前の風景はリアルなんですけど、今の私には写真があるので、「目の前の景色をこういう視点で私は見ている」という感情を切り取って閉じ込めることが出来ます。
中野 市橋さんの中で写真はフィクショナルな部分が大きいということですか?
市橋 風景はノンフィクションなのですが、それを写真で切り取ることでフィクションにする、自分だけの空間にする喜びを見つけたという感じです。

中野 僕は写真を撮ることは「記憶と記録」と思っています。記憶に結び付くものを記録しておくみたいな。リアルとフィクションの両方の要素が混じってるなと感じます。閉じ込める作業をする際は、最初から引き絵を見る感じですか?
市橋 割とそうですね。多分、写真に落とし込んだ時のものの見方が二次元のグラフィック的なんですよね。絵としていいか悪いかみたいな。
中野 すごいですね。ご自身のなかのフィクションの世界を計算しながら完成させていくみたいな作業です。
市橋 でも、計算されているものは好きじゃないんです(笑)。偶然性ばかり追い求めるのでスナップが好きなんです。
中野 市橋さんのグラフィックセンスは、ご両親と一緒に行かれた美術館などで養われたのかもしれないですね。感銘を受けたグラフィックデザインはありましたか?
市橋 ウィリアム・モリスという装飾デザインをされる方がいるのですが、高校生のころは彼の本を読んだり、似たようなパターンを集めて画集みたいなものを自作したりしていました。武蔵野美術大学に入ったのも写真ではなく絵が好きだからで、細かい筆致の絵ばかり描いていました。
中野 そうなんですね! 写真に触れたのはいつだったんですか?
市橋 大学の授業で写真を使ったポートフォリオを作る機会があって、その時に初めて写真を撮りました。世の中の面白いものを切り取る作業がめちゃくちゃ快感だったんです。絵のようにゼロから描くと、頭の中を見透かされてる感じがありますが、写真だと単純に世の中のものを切り取ればいい。楽だし、見つける作業がすごく楽しかったんです。そうすると、なるべく手を加えない方が面白いと思い、世の中の偶然性みたいなものに執着するようになりました。
中野 画家を目指していたならアーティスティックなエゴがあると思います。そのエゴとはどう向き合われていますか?
市橋 こういう目線でものを見たよっていう写真って、本当に一瞬しかなかったりするじゃないですか。その瞬間を切り取ったっていうことで満足なんです。
中野 そうなんですね。僕の場合、ブレブレな写真にしたり、色彩を使ってみたり写真でしかできない表現でエゴを注入したりします。そういうことには興味がありませんか?
市橋 興味がないわけではないのですが、切り取った時の偶然性のほうを大切にしちゃうかもしれないですね。
中野 市橋さんの写真はフィルムのイメージが強いのですが、デジタルでの撮影はされますか?
市橋 基本は使わないです。理由は単純で、フイルムで撮った写真の方が好きだからです。やっぱり情報密度が違うと感じます。今時何言ってんだって感じですよね(笑)。
中野 そんなことはないですよ(笑)。フィルムでないと偶然性みたいなものは生まれませんし、自分を驚かすという要素があるから、今の若い子の中でフィルムが流行っているのだと思います。
市橋 フィルムだと撮れないものって世の中にすごくいっぱいあるんですけど、デジタルで撮影した内容の方がいいと感じたら選択肢が生まれると思います。
中野 暗い環境でも撮影できるとか。
市橋 仕事には使いませんが、iPhoneで植物を撮るのが趣味なんです。100円ショップで売っているiPhone用の顕微鏡レンズを20個くらい買いました。
中野 それは作品として?
市橋 母親が植物が好きで、コロナの時期に何かを撮って送り合うということを始めたら、4年くらい続いています。1日も欠かさず続けているんです。道端の植物を撮影するのですが、見たことない世界が撮影できて面白いんですよ。
中野 この連載でケイ オガタさんが「スタイルは自分の中に培われているから、技術的なことをスタイルとしなくていい」とおっしゃられていました。この先、市橋さんの写真表現として目指しているゴールはあるのでしょうか?
市橋 具体的にこんな写真を目指したいということではありませんが、今後の自分がどんな写真を撮っていけるのかには興味があります。世の中には色んな写真が溢れていて、検索すればクオリティの高い写真は簡単に見ることができる。そんな中で、アナログにしか興味のない自分が、どこまで飽きずに続けていけるんだろうと考えます。
中野 最近も作品を撮られていていましたが、「これを表現したいから作品を作る」みたいな意図はあるのですか?
市橋 これを人に伝えたい、だから撮るということは昔から全然なくって。これは好き、これに出会った、写真を撮っているのが楽しい。という結果というか。こんなの撮れた、見てみて! みたいな感じなんです。その気持ちは薄れることはありません。
中野 その気持ちと、偶然性を求める好奇心が続く限りは飽きることはないのかなと思います。
NAKANO’s COMMENT
市橋さんの撮る作品の原点は、子どもの頃からの美術やデザイン的な素養と、偶然性への好奇心からでした。そして、空間ごと被写体を切り取って写真や映像にバランス良く落とし込むという感覚が、作品の魅力になっていることを理解することができました。
スペシャリストに聞く6つの質問
Q1 業界を目指す人へ
撮影することに興味持っている時点で幸せだと思うので、ぜひ続けてほしいです。努力しただけ人間としても豊かになるから。カメラを見つけた貴方は、それだけで価値あるものを持っています。
Q2 被写体への向き合い方
コミュニケーションが少し苦手で、カメラを向けられた時、被写体が今どんな気分なんだろう、何を感じているんだろう、気持ち良くいてくれているかな…。とすごく気になっちゃいます。
Q3 影響を受けた人
写真を始めた頃、技法的な意味で勉強していたのは佐内正史さん。他にも、ウィリアム・エグルストン、スティーブン・ショアといったニュー・カラーの人達にも影響を受けています。
Q4 気になっていること
気になっていることというか、写真家の志賀理江子さんが気になっています。最近作品を見て、衝撃を受け圧倒されました。自分にはないものを表現している人にはすごく憧れます。
Q5 撮影中のBGM
私、音楽は好きなんですけど、撮影中に流すということはないんですよね…。すみません(笑)。暗室で写真を焼く時にはイヤホン大音量で音楽を聴くことが多いです。
Q6 キーアイテム
仕事で使っているポラロイドフィルムです。発売中止になるタイミングで20年分買い貯めしました。消費期限が5年で今では色が青く出てしまいますが、構図チェックという意味では許容範囲かな?

撮影・インタビュー
中野敬久(なかの・ひろひさ)

1993年渡英。ロンドン・カレッジ・オブ・プリンティングで、写真、映像を学び、スタジオにて数々のアシスタントを経験後、帰国。VOGUE のイタリア版メンズファッション紙「L’UOMO VOGUE」をはじめとするファッション誌や国内外の俳優女優、アイドル、ミュージシャン、文化人など枠にとらわれないポートレイト撮影で、広告、CD ジャケット、雑誌など幅広い媒体で活動中。
https://www.hirohisanakano.com/home/
https://www.instagram.com/hirohisanakano/

コマーシャル・フォト 2025年3月号
【別冊付録】CM・映像 キャメラマン&ライトマン ファイル 2025
【別冊付録】
CM・映像 キャメラマン&ライトマン ファイル 2025
CM業界、映像業界関係者必携の1冊! CMやMVの分野を中心に活躍する、キャメラマンやライティング・テクニシャンの185人のプロフィールや仕事データを掲載。※電子版では、付録は本誌の後のページに収録されています。
【特集】
「写真におけるAIの今」
今回の巻頭特集は「写真におけるAIの今」。博報堂プロダクツREMBRANDTが行なった、レタッチャーによる 生成AIビジュアル作品展「PHANTOM」を取り上げ、写真におけるAIの現状を紐解いていく。
【誌上写真展】
写真学生たちの挑戦 2025
日本大学 芸術学部 写真学科/東京工芸大学 芸術学部 写真学科/長岡造形大学 視覚デザイン学科/日本写真芸術専門学校/東北芸術工科大学 グラフィックデザイン学科
【新連載】
長山一樹流 違いを生むコマーシャル・ポートレイト
「 ポートレイトisブラックアンドホワイト」
【FEATURE】
「Tokyo Moonscapes 東京恋図」 南雲暁彦
「FLORA / ECHO」 大和田良
「フィルムの世界、4人の視点」増田彩来/鈴木文彦/染谷かおり/松本慎一
ほか