業界横断企画「面と向かう」

フォトグラファー 渡邉 肇 × 能楽師 辰巳満次郎

クリエイティブの仕事において、印刷会社への入稿は大きな区切りである。企画、撮影、デザインを経て、原稿として託し、出校や納品を待つ。しかし、上がってきたものがどうもイメージと違う、赤字を入れてもなかなかしっくりくるものにならない、そんな経験をされた方は少なくないだろう。また、印刷について詳しく知りたいがその手段がない、と感じている方もいるのではないだろうか。
本記事は、そうしたモヤモヤが改善に向かうきっかけになればという趣旨で行なう、本誌と印刷専門誌『印刷雑誌』、そして展覧会の連動企画。フォトグラファーと印刷会社が直接コラボレーションし、作品の制作〜発表を行ない、それを業界横断で発信しようというものだ。

執筆・撮影(メイキング)
芳田賢明(DNPメディア・アート)
よしだ・たかあき
イメージングディレクター/フォトグラファー。DNPグループ認定マイスター。日本写真芸術専門学校非常勤講師。写真制作ディレクターとして写真集やアート分野で活動。ポートレイトや舞台裏のスナップ撮影を得意とする。著書『誰も教えてくれなかった デジタル時代の写真づくり』(印刷学会出版部)。

写真と印刷が再び「面と向かう」

写真と印刷の関係は非常に深い。それぞれの分野で挑戦と革新が繰り返される中で、互いに大きな影響を与え合いながら、ビジュアル表現の発展を支えてきた。歴史的にみても、写真は印刷による複製で世界中に届けられるようになり、印刷は写真製版術によって表現力や品質を飛躍的に向上させられるようになった。現在では、銀塩方式に代わって、印刷の一方式であるインクジェット方式が写真プリントの主流となり、印刷と写真の境目は今まで以上に融合されつつある。

また、日本では長らく、雑誌や写真集といった印刷メディアが写真家の作品発表の場になってきた。そのため古くから、印刷技術者と写真家、そして装丁家やデザイナーが、コラボレーションによってひとつの写真作品を生み出すという文化があった。しかし、デジタル技術の進展によって状況が変わった。

デジタル技術により、大きな設備や熟練の技術がなければできなかったあらゆる作業が、机上で、それも正確にできるようになった。これにより、従来は分業せざるを得なかったクリエイティブをひとりで完結させ、思い通りのものを生み出せるようになった。一方で、各工程のエキスパートがコラボレーションによって掛け算のモノづくりを行なう機会が減少するという状況も生まれた。

そこで今回は、DNPメディア・アート「表現工房」が、本誌と『印刷雑誌』の協力のもと、撮り下ろしから展示作品の制作まで、企画段階からの対話を軸に共同制作を行なう。「入稿」を境にした分担というよりも、互いの専門性を活かしながら「ともにつくり上げる」という姿勢で、まさに「面と向かう」取り組みである。

DNPメディア・アート 表現工房プロジェクト



アーティストやクリエイターの表現と、DNPの技術とのコラボレーションによって、新たな価値を生み出す取り組み。東京 市谷のDNPプラザを拠点に2021年より企画展を継続開催している。制作には、イメージングディレクター、デザイナー、立体造形マイスター、プリンティングディレクター(いずれも社員)を中心としたチームであたっている。

歴史を踏まえた挑戦により新たな価値を生み出す

今回コラボレーションするフォトグラファーは渡邉 肇氏。撮影技術はもちろん印刷表現にも精通し、コマーシャルの撮影ではビューティ、ファッションの分野で特に定評がある。作品撮影ではあらゆるテーマを扱い、近年では文楽、直近では能楽の撮影に取り組んでいる。伝統のある被写体に向き合いつつ、技術により新たな可能性を模索する姿は、表現工房の理念にも通じる。

渡邉氏とディスカッションを行なう中で決定した被写体は、能。能楽師の辰巳満次郎氏の協力をいただき、6つの演目を取り上げ、そこで用いられる能面と、その面を付けて演じる満次郎氏の撮り下ろしを行なった。満次郎氏も、伝統芸能の担い手でありつつも、あらゆる異分野とのコラボレーションを行ない、柔軟な姿勢で能楽の新たな可能性を追求し続けている。

そのコラボレーションにより制作する作品のテーマは、「伝統芸能×最新技術」「オーソドックス&チャレンジング」。複写・アーカイブ的な撮影ではなく、渡邉氏の強みであるビューティやファッションの撮影手法でスタイリッシュに迫る。印刷や制作の面でも、デジタルとアナログ、古典技法と最新技術を組み合わせ、表現に応じた最適な機材と手法を用い、テーマに即した表現を行なった。

撮影現場で対峙する、渡邉氏と満次郎氏。まさに表現者同士がぶつかり合う瞬間。スタジオには緊張感が走る。
撮影を終え談笑するふたり。それまでの緊張感とは打って変わって和やかなムードだが、そこにはそれぞれの仕事に対する矜持が感じられた。

撮影の模様

撮影は11月下旬、イイノ南青山スタジオで2日間行なった。カメラは富士フイルムのGFX100 II。1日3演目ずつの撮影で、6つの演目の印象的な場面を演じる満次郎氏を前半に、そこで用いられた能面を後半に撮影。満次郎氏を撮影するライティングは、ストロボをメインにLEDも併用しながら、演じる内容や情景のイメージに応じて変えている。スモークも効果的に活用した。

撮影の舞台裏については『印刷雑誌 2月号』も合わせて参照いただけると幸いだ。

能面の撮影。文化財と同様の取り扱いが求められる。
スモークは合成用の素材も別撮りしておく。
カラーライティングも実施。攻めの撮影だ。

6つの演目と能面

満次郎氏より、能舞台で用いられている面を持参いただき、撮影した。いずれも宝生流の長い歴史が刻まれた、非常に貴重なものである。

演目『船弁慶』 役名:静御前 面:孫次郎/演目『西王母』 役名:西王母 面:泣増/演目『鉄輪』 役名:鬼女 面:生成
演目『黒塚』 役名:鬼女 面:般若/演目『高砂』 役名:住吉明神 面:邯鄲男/演目『加茂』 役名:別雷神 面:大飛出

デザインの設計

展示会場の壁面には、縦長ワイドの大判プリントで、能面を付けた満次郎氏の写真、すなわち能に登場する役者のポートレイトを展示する。通常、能面の写真展となれば、ライティングも含めアーカイブ的に撮影したものを整然と並べることが多いが、今回は渡邉氏と満次郎氏ならではのセッションであり、それに相応しい形を追求した。写真を大幅にトリミングすることでインパクトを出し、来場者に文字通り「面と向かう」体験をしてもらう。こうした写真の見せ方には、やはりラージフォーマットの高画素カメラによる緻密な描写が活きてくる。

その手前のスペースには、経本折の作品集を2冊組で、満次郎氏が舞う姿を展示する。経本折とは、山折と谷折を交互に行ない、広げるとジグザグに一枚で繋がっている形状だ。順番にめくる従来の本とは違い、一度に見えるページを見る人が自由に組み合わせることができ、立てるとオブジェ的な展示もできる、自由度の高い造本だ。来場者が手に取り、自ら見ていく仕掛けにすることで、より印象に残る展示にすることを狙う。

1冊目には女系、鬼女をまとめ、泣増と般若を交互に配置した側と、孫次郎と生成を交互に配置した側で構成。交互配置のため、立てて見ると片方だけが連なって見える。2冊目には男系、鬼神をまとめ、邯鄲男のシークエンスの側と、大飛出のシークエンスの側で構成。満次郎氏が面を付ける瞬間、すなわち役者となる瞬間も収録している。表紙はチップボールという硬い紙に、今回のタイトルである「面と向かう」と演目名を記している。タイトルのデザインは縦方向に2分割されており、面と向かう両者、あるいは素顔と面を付けた姿、という意味を込めている。

なお、展示作品の制作は本誌の編集と並行して行なっており、残念ながら完成品をこの記事に掲載することができない。ぜひDNPプラザに足を運び、作品を直に感じ取ってほしい。

壁面展示のイメージ図
経本折の試作(女系、鬼女をまとめた1冊目)
経本折の試作(男系、鬼神をまとめた2冊目)
タイトルと経本折表紙のデザイン試作

印刷・制作の設計

  • プリントの方式
    写真の解像度、色域、濃度を高い品質で紙に表現できる水性インクジェットを選択した。水性以外にも耐候性に優れた溶剤インクや、紙以外のものにも刷れるUV硬化インクのものなどがあるが、今回は紙媒体での屋内展示であるため、写真品質を最も追求できる水性を使用した。

    同じ水性インクジェットでも、フォトグラファーにも馴染み深いロールプリンターのほか、商業印刷向けのデジタル印刷機がある。壁展示にはとにかく最高品質を得るため、いわゆるジークレープリントで制作。経本折の作品は、両面印刷や造本適性などを考慮し、デジタル印刷機を使用した。デジタル印刷機であればインクジェット専用紙ではなく、一般的な印刷用紙に印刷ができる。
  • 用紙
    壁面の大判プリントには、メインに相応しい表現を狙い、撮影画像のポテンシャルとプリンターの能力を最大限引き出せる、印画紙ベースの写真光沢紙を選択。

    一方経本折は、写真のプリントではなく作品集としての佇まいを持たせ、指に触れた時に上質な風合いを感じさせることを意図し、微塗工紙というジャンルの印刷用紙を選択。マットな質感がありつつも印刷適性が高く、めくりやすさと立てた時の安定感や耐久性を両立できる、インクジェット用紙にはあまりない紙だ。同種の用紙を複数準備し、印刷テストを行ない、最終決定した。

    なお、いずれもプリンタープロファイルをDNP独自の技術で作成し、再現の最適化を行なっている。
  • 制作
    壁面の大判プリントは、イメージそのものの強さを素直に見せることを意図し、プリントをそのままの状態で壁に張ることとした。ただそれだと展示期間中にプリントが波打ってくるため、樹脂のシートで裏打ちする。裏打ちがアルミ複合板まで厚くなると物質感が出すぎてしまうと考えての判断である。

    経本折の製本は手作業だ。質感、見やすさ、強度、安全性などをすべて両立できるよう、事前に制作チームでディスカッションしたうえで制作にあたっている。なお、チップボールの表紙には、「面と向かう」のタイトルに合わせて段差を付けたり、紙を巻き付けて質感を変えたりすることで、物体としての作品性を高めることとした。
ジークレープリントのテスト
経本折の束見本(本番の紙で印刷前に作る製本見本)
経本折の用紙選定
経本折の候補用紙への印刷テスト

業界を超えて「面と向かう」ムーブメントを

写真やグラフィックデザイン、映像などのメディア表現は、その性格上、テクノロジーを用いたものであるため、表現を実現させるための技術を常に必要としている。そしてメディア技術は、そのテクノロジーの活用と進化のため、常に新たな表現を必要としている。つまり、メディア表現における価値の創出やイノベーションは、表現と技術のコラボレーションによってこそ生まれるのだ。

DNPメディア・アート「表現工房」では、そうした考え方のもと、これまで様々なコラボレーションを行なってきた。しかし、写真や印刷の業界を再び盛り上げていくためには、同時多発的なコラボレーションの創出と、それらの横連携により、大きなムーブメントにしていく必要がある。個別の業界内だけでの取り組みにとどまることなく、業界を超えて「面と向かう」ことが、いま私たちに必要なことなのである。

DNPプラザでの打ち合わせ風景。面と向かって忌憚のない対話を続けることで、新たな発想や手法にたどり着くことができる。
今回撮影した作品と渡邉 肇氏のインタビューはこちらの記事にて掲載中。

フォトグラファー:渡邉 肇
わたなべ・はじめ
ビューティ、ファッションを主体とした商業写真を中心に活動するかたわら、プライベート作品の製作や、国内外での写真展の開催も精力的に行なっている。最近では、10年の歳月をかけて撮影した、文楽人形遣い三世吉田簔助(人間国宝)の写真集『簔助伝』を刊行。

能楽師:辰巳満次郎
たつみ・まんじろう
シテ方宝生流能楽師。古典継承の活動をする一方、能が持つ宇宙観、引き算の美学を、他ジャンルとの融合を通じて様々な表現に挑み、追求・普及している。2001年重要無形文化財総合指定に認定。文化庁文化交流使。日本芸術文化戦略機構(JACSO)名誉理事長。

表現工房vol.8 フォトグラファー 渡邉肇 × 能楽師 辰巳満次郎「面と向かう」

会期:2024年1月17日(水)〜4月12日(金)
会場:DNPプラザ B1F(東京都新宿区市谷田町1-14-1)
開館:10時〜20時 日曜定休
入場料:無料
主催:DNPメディア・アート
協力:玄光社、印刷学会出版部、イイノ・メディアプロ
詳細:https://dnp-plaza.jp/index.html

『印刷雑誌』(発行:印刷学会出版部)

印刷雑誌 2024年2月号』にもレポートが掲載されている。
『印刷雑誌』は、商業印刷や出版印刷、パッケージなどについての技術、マーケティング、デザインについて、最新情報のレポートと業界関係者によるコラム、連載を中心に構成される専門誌だ。これを機に、『印刷雑誌』から印刷の世界を覗き見てはいかがだろうか。
https://www.japanprinter.co.jp/

コマーシャル・フォト2024年3月号

■特集「料理写真徹底研究 もっと! おいしい瞬間」五感に訴えかける料理写真の極意とは!

料理撮影において最も重要なのが、被写体の“おいしい瞬間”を切り取ること。瑞々しい素材のカットや、調理場面、出来立てのテーブルフォト、食器で口に運ぶシーンなど、その瞬間はいたるところに存在し、被写体や使用用途に合わせて、ベストな瞬間を見極めると共に、見た人の五感を刺激するビジュアルを突き詰めることで、最高の料理写真が完成する。本特集では、食に特化したフォトグラファーが多数在籍しているアマナのシズル撮影専門クリエイターチームhue(ヒュー)に、経験による審美眼や画面構成のアイデア、シズル表現のテクニックなど、“おいしい瞬間”をビジュアル化するためのノウハウを解説してもらった。

■写真展「中森明菜」
中森明菜さんのデビュー40周年を記念し、新設された中森明菜さんのファンクラブ:ALDEA限定で発売された写真集。その撮影を担当した只友眞人氏が撮影について語る。

■feature 01 高橋秀行「3,776.12」
Shuffleでも以前取り上げた本展。コマーシャル・フォト3月号でもより深く、作品に迫る。