【蒼井ゆい 短期集中連載】第2回「85mmの新常識:定番ポートレンズの可能性を広げる」

「85mmはポートレイト用」

──そう語られることの多いこの焦点距離に、私は少し違和感を感じていた。というのも、私自身はこれまで人物を主題にした撮影をしてこなかったからだ。

ただ、今後ポートレイトを撮る可能性があることもふまえて、あくまで“85mmはもっと多用途に活かせる”という視点で語りたいと思っている。

圧縮効果の効いた街並み

この85mmという焦点距離のレンズを手に取って最初に驚いたのは、背景の整理力と“遠くのものが近づいて見えるような圧縮効果”だった。

遠くの背景が主役のすぐ後ろにあるように見える──そんなふうに、距離がぐっと詰まって感じられる効果は、85mm=中望遠の持ち味だ。
視野が狭くなりすぎないので、主役と背景の関係を自然にコントロールしやすいのも魅力である。

スナップの中で見つけた
「新しい」85mm

たとえば、夜の街角で灯るランタンやイルミネーションを切り取るとき。85mmは、光をただ柔らかくボカすだけでなく、その配置や色の濃淡までも絵として成立させてくれる。

背景にある光源が、単なる装飾ではなく、主役を引き立てる“副題”のように画面に配置されていく。

また、ガラス越しに陳列された瓶や商品棚を撮影したときも、85mmの自然な距離感が「のぞき込むような視点」を生み出してくれる。

自分の目では近づけない空間に、画角だけをすっと差し込んで、情報量をそぎ落としながら“物語の断片”だけを拾い上げる──そんな感覚がある。

さらに私が気に入っているのは、被写体の一部を大胆に切り抜くアプローチ。

たとえば、ゴミ箱のふた、空き瓶の底、建物の壁の一部など。全体を写すのではなく、一部だけを写すことで、見る側の視線を意図的に誘導できる。

それはある意味で、“説明しない写真”の面白さでもある。

初心者にも伝えたい
「発想の転換」としての85mm

「85mmって難しそう」──そう感じる人もいるかもしれない。確かに、被写体との距離があるため、狭い場所では扱いづらさを感じることもある。でも逆に言えば、それは「被写体との距離感」そのものを問い直すチャンスになる。

全体が入らないなら、切り取ればいい。
近づけないなら、遠くから“抜く”構図を考えればいい。

85mmは、そんな“引き算の発想”を育ててくれるレンズだと思う。初心者だからこそ、最初から広く全部を写すよりも、「ここだけを見てほしい」という意図を持って撮る練習として、85mmはおすすめしたい。
風景でも物撮りでも、構図に迷ったときこそ、「主役をひとつ決める」という考え方が自然と身につくはずだ。

私にとっての
85mmの「新常識」

最後に、私が85mmを通して見つけた“新常識”について。
それは、「ポートレイト用レンズ」ではなく、「視点をコントロールするレンズ」だということ。橋や柱の並ぶ通路を遠くから捉えて、背景を圧縮しながら画面にリズムをつける。店舗のディスプレイを光ごと切り取り、奥行きを感じさせながら主役を浮かび上がらせる。
スナップでも、物撮りでも、風景でも、“見るべき一点”を自然と指し示してくれる視野の狭さは、むしろ”自由”だった。

これからも、私なりの85mmを探していきたいと思う。きっとその中には、“ポートレイトじゃない85mm”の面白さが、まだまだ眠っている。

最後に──
あなたは、どこを見せたいですか?

もし今、あなたの手元に85mmのレンズがあるなら、ポートレイトだけで終わらせるのはもったいない。お気に入りの街の一角でも、部屋の片隅でも、ふとした光の反射でもいい。

“誰かに見せたくなる部分”を見つけて、そこだけを写してみてほしい。

構図に悩んだときは、「全部写さなくていい」と思ってみる。視点が絞られたことで、“何を伝えたいか”がクリアになる。それが85mmというレンズが教えてくれる、ひとつの表現のヒントかもしれない。

【よくある質問と撮影のヒント:85mmをもっと楽しむために】

Q. 背景がうるさくてうまく撮れません…。

A. 85mmは背景処理がしやすいレンズです。ピントを当てる位置と、背景との距離を意識してみてください。背景との距離があるほど、ボケは大きく、柔らかくなります。主役の周囲に余白を作る意識で構図を組むと、主題が際立ちます。

Q. 何を撮ったらいいかわからないときは?

A. 正面から向き合うのではなく、「何かをのぞく」ような気持ちで探してみてください。木の間から見える空、ガラスの反射、影の中に浮かぶ光。全部を見せなくても、“その一角”だけで物語が成立するのが85mmの魅力です。

Q. 初めての1本としてはどう?

A. 「ポートレイト用」と決めつけてしまうと難しく感じますが、“視点を削ぎ落とすレンズ”と考えると、構図のトレーニングにも最適です。主役をひとつ決めるクセがつくので、他のレンズに持ち替えたときも迷いが減ると思います。

Q. もっと雰囲気を楽しみたいときは?

A. 私自身も夜景シーンでよく使っているのが、ブラックミストのフィルターです。街灯やネオンの光が柔らかく滲み、コントラストが少し抑えられて、ふわっとした空気感に包まれます。キリッとした描写が特徴の85mmに“抜け”を与えることで、雰囲気重視の撮影にも適した1本になります。

【PROFILE】
蒼井ゆい(あおい・ゆい)
写真家。スナップ、ミニチュア、自然、風景、動物など、ジャンルを横断しながら「どこを見るか、なぜ撮るか」を大切に撮影。作品だけでなく、撮るまでの視点や思考も含めて写真だと捉えている。YouTubeではPOV視点を通じて構図や判断のプロセスを発信。SNSフォロワー数は20万人以上。「カメラをもっと身近に」をコンセプトに、日々写真の楽しさを発信している。自身が運営するオンラインコミュニティ「蒼い彗星」では、作例や講座を通じて表現の奥深さを共有している。
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【特集】レタッチ表現の探求

写真を美しく仕上げるために欠かせない「レタッチ」。それはビジュアルを整えるだけでなく、一発撮りでは表現しきれないクリエイティブな可能性を引き出す工程でもある。本特集では、博報堂プロダクツ REMBRANDT、フォートンのレタッチャーがビジュアルの企画から参加し、フォトグラファーと共に「ビューティ」「ポートレイト」「スチルライフ」「シズル」の4テーマで作品を制作。撮影から仕上げまでの過程を詳しく紹介する。さらに後半では、フォトグラファーがレタッチを行なうために必要な基本的な考え方とテクニックを、VONS Picturesが実例を通して全18Pで丁寧に解説。レタッチの魅力と可能性を多角的に掘り下げる。

PART1
Beauty  石川清以子 × 亀井麻衣
Portrait  佐藤 翔 × 栗下直樹
Still Life  島村朋子 × 岡田美由紀
Sizzle  辻 徹也 × 羅 浚偉

PART2
フォトグラファーのための人物&プロダクトレタッチ完全実践
講師・解説:VONS Pictures (ヴォンズ・ピクチャーズ)

基礎1 フォトグラファーが知っておくべきレタッチの基本思想
基礎2 レタッチを始める前に必ず押さえておきたいポイント
人物レタッチ実践/プロダクトレタッチ実践

ほか