2007年08月08日
私はいま、こびとのくつ株式会社というレタッチのプロ集団の代表をつとめているのですが、レタッチの仕事を始めたのはいまから7年前、株式会社アマナに入社してからです。小さい頃からずっと絵を描いていて、描くことを仕事にしたいなと思っていたのですが、アマナでレタッチャーという職業を知って、これしかないと思ってやっているうちに現在に至っています。
社名の由来は、グリム童話の「こびとのくつや」から採りました。童話のほうは、靴屋さんが朝起きてみると、誰がつくったのか、いつのまにか靴が出来上がっていたというお話ですが、われわれの仕事も徹夜で作業をして、朝になったら仕上がっていたということが多いので、それにちなんでいます。スタッフは私を含めて7人で、全員がワコムのA3ワイドのペンタブレットを使っています。職業柄、色には非常に気を使っていて、EIZO のColor Edge 211をメインのモニターとしてレタッチ作業を行ない、エプソンのMAXARTとカラーマネジメントツールでプリントの色を管理し、色校正を見るための大きな色校正台も社内に置いています。
レタッチの仕事は、技術を突き詰めていく職人的な部分と、世の中のあらゆるものを絵として見ていくというアートディレクションの部分の両方を兼ね備えているところが面白いと思っています。自分の頭の中にあるイメージをペンタブレットとPhotoshopで置き換えて表現していくので、自分の脳と手が直結しているという快感を味わうことができると思います。
私たちが関わった広告の仕事を例に出しながら、レタッチャーが具体的にどんな作業をしているのかをご紹介したいと思います。こびとのくつでは肌の修正から、合成によるイメージ作りまで、様々な依頼がありますが、まず肌モノの代表格として化粧品の広告があります。たとえば梨花さんが出演している「花王ソフィーナ AUBE」のポスターですが、今のビューティはリアリティを追求する流れになっていて、このポスターでも毛穴がしっかり残っています。ターゲットとなる女性の立場から見て「あぁ本当にきれいなのね」というリアリティを感じさせる方向に広告が流れてきているんです。なので、肌をツルツルにするのではなく、リアリティを残すところに主眼を置いています。
ネピア 鼻セレブ
その逆に、わざと人工的な肌にすることもあります。たとえば「ネピア 鼻セレブ」の広告では、人物の肌がつるっとして人形っぽい感じにしています。これはアートディレクターの方から、「見たときに、えっ!と思うようなインパクトのある絵にしたい。マネキンっぽい感じが面白いんじゃないか」というディレクションがあって、それに沿ってこういう処理をしています。この場合は軽く基本的なレタッチをした後に、Photoshopの「ラップフィルタ」でハイライトがとけるような感じにして、マネキンとかセルロイドとか人工的な肌表現をしてみました。
肌修正や合成でどこまで自然に見せるのかというのは、そのビジュアルの目的に大きく関わってきます。たとえば「東京電力」の鈴木京香さんが出演している広告で、林の中に鈴木さんが立っているビジュアルがあるのですが、人物はスタジオ撮り、背景はロケで別撮りです。白い服に反射しているグリーンだとか、顔に光を受けた感じとか、足元の草を踏んでいる感じというのは、すべて合成で作っていますが、まるで一発撮りの写真のようにはしていません。本当は人物と背景はもっと馴染ませることもできるのですが、タレントさんというのは広告のアイコン的な役割もあるので、絵の中から人物が浮き立つようにしています。一度自然に見えるようなところまでレタッチをしてから、わざわざ広告としてふさわしいところまで戻しているんです。
色や解像度をどのようにコントロールしているかですが、「KIRIN THE GOLD」の仕事では、徹底的にカラーコントロールを行なっていまして、企業のロゴ、商品名、缶に描かれているキリンの毛の部分、胴体の黒い部分、おなかの赤い部分などそれぞれ細かいマスクを作って、微妙に色を調整しています。これは最大でB倍10連貼りにまでなったのですが、ここまで大きい媒体になると小さいデータで作るわけにはいきません。レタッチャーとしてはなるべく大きいデータで、と思うわけです。そうすると、レイヤーも含めたデータの重さが8GB、10GBというビッグサイズになります。後からPhotoshop CS3のスマートフィルタを知って、「このスマートフィルタがあれば、もっとデータが軽くなってハンドリングが楽だったのになあ」と思ったりしました。
キリン KIRIN THE GOLD
「大塚製薬 カロリーメイト」は別の意味で色にこだわっています。元の写真は少しマゼンタがかった写真だったのですが、地下鉄の駅の中に貼られるポスターということもあって、地下鉄の蛍光灯っぽい雰囲気を重視して色設計を行なっています。商品のキーカラーである黄色と、荒川良々さん扮するイエローマンが目立つように、商品の箱の色や荒川さんの服の色に調整を加えています。この場合はレタッチといっても、肌の修整とか合成ではなく、写真のトーン調整が主な仕事でした。
テクニック面で特に気をつけていることは「いかに精密なマスクをつくるか」。人物を切り抜くときのマスクはいろいろやり方があるのですが、主に選択範囲で「色域指定」を使います。色域でマスクを切ると髪の毛もある程度うまく抜けるのですが、どうしても毛先などの細かい部分できれいなマスクができません。そういうときは、フリーハンドで一本一本描くこともあります。デフォルトのブラシを使って髪の毛を描くと、太さが均一で髪の毛っぽくならないので、先が少しずつ細くなるようにカスタマイズしたブラシを使っています。
私が使っているブラシはボケ足の違いで数段階に分かれていて、またそれとは別にノイズを仕込んであるブラシも用意しています。ちょっとザラつかせた表現であったり、トーンジャンプを起こしたくない表現の場合は、こちらのブラシに持ち替えて作業をします。
ビューティのレタッチ作業ではいちばん最初に、髪の毛、眉、肌、唇、歯茎、歯、白目、黒目 と、パーツごとにものすごくたくさんのマスクを切ります。髪の生え際の表現などは、B倍サイズのポスターになったら細かいところまで見えてしまいますから、手は抜けません。
ここまでいろんなマスクを用意しておくと、口紅の色をもっと赤くしてほしいとか、眉をもう少し濃くしてほしいなどのオーダーにも素早く対応することができます。特にビューティの場合には、口紅の色は「532-A」といった型番で決まっていますから、厳密にその色に合わせるためには、あらかじめマスクを用意してないと即座に対応できないわけです。もしかしたらせっかく作ったマスクを使わないという可能性もあるんですけれども、うちの場合はマスクに関してはほぼ完璧に揃えて臨んでいます。
トランスコスモス 企業広告用のビジュアル
全面的に合成を使った例を見てみましょう。「トランスコスモス」というIT企業の広告で、ちょっと身近な未来というコンセプトのビジュアルです。左側のものは、未来のグラビアってこんな感じかな? というもので、このときは「スター・ウォーズ」を何度も見て、レイア姫のホログラムのシーンで、走査線の感じとか発光感、透け感、ブレ感なんかを研究しました。
右側も同じくトランスコスモスの広告で、空飛ぶ車に乗った男性が窓越しに女性にキスをしているという絵です。空飛ぶ車のベースになったのは古い車だったのですが、写真撮影のために車軸を傾けたりすると非常に危険なんですね。まして人が乗っているわけですから。そこで、女性がいる建物の方を斜めに傾けて撮ったんです。このときは撮影の現場にパソコンを持ち込んで、その場でプレオペレーションといって、アタリの画像で大まかな合成をしながら撮影を進めました。
日本たばこ産業 キャメル
これは「日本たばこ キャメル」の広告なんですが、元の写真というのは、完成した絵よりも一回りもふた周りも小さい写真です。あとの部分は背景を伸ばしたり、バイクの部分は描き起こしをしています。もちろん全部が手描きではなくて、このとき同時に撮影したロールからさまざまな素材を引っぱってきて、継ぎはぎして使っていますね。
同じロールの写真とは言っても、1枚1枚の雲や光の状態は違いますから、けっこう苦労しました。ですので、この仕事をやっているときはレタッチャーとして試されているのかな、と思ったりしました(笑)。その後、全体にイエローっぽい色補正をかけていくと、こういう独特の雰囲気になるのですが、アートディレクションとしては70年代のちょっと懐かしい感じというのがコンセプトでした。
そのコンセプトを強化するために、出来上がった画像に擬似網点をつけて、古い海外の雑誌の広告というイメージを演出しています。実はこの網点、媒体の種類によって大きさが3種類あります。網点が細かいものはコンビニのレジ横なんかに置いてあるPOP用、真ん中の大きさは自販機用、いちばん大きい網点のものはビルボード用です。つまり見る人からの距離に応じて網点の大きさを変えることで、どこでどの媒体を見ても同じように網点が目立つように計算しているんです。
このセッションのタイトルは「写真に新しい生命を吹き込むデジタルフォトレタッチ」ということなので、そういう観点から、最後にいくつかお話をしたいと思います。広告におけるフォトレタッチャーというのは、まだ新しい職種なのでそれほど認知されていません。でも、アートディレクターやフォトグラファーとはまた全然違う立場の人間として、フォトレタッチャーという存在が必要とされているのも事実です。
私たちの仕事というのは、アートディレクターやフォトグラファーが持っているイメージを、技術とか知識、実際の作業というものに翻訳して、初めて物として形になってくるわけです。そういう意味で、アートディレクションの意図を理解する力とか、写真を読み解く力がないと、本当の意味でのフォトレタッチはできない、と思っています。アートディレクターとフォトグラファーとは別の、「第三の脳」として、レタッチャーがこれから活躍していけるんじゃないか、と思います。
田口美樹 Miki Taguchi
7歳より油画・水彩・陶芸・書道を学ぶ。株式会社アマナを経て、こびとのくつ株式会社を設立。主な仕事:キリンビール、NTT ドコモ、東京電力、サントリー、明治製菓、花王など。肌修正からイメージまで仕事の依頼は多岐に渡る。 http://www.kobito.co.jp/