産業の歩み

湿板法の時代の到来

第二章 1855-1865 ①

偶然の発見から誕生した媒体剤

写真産業は、ダゲレオタイプの広まる1846年後半から徐々に次なる写真術コロディオン法への動きが水面下にうかがえるようになります。そのきっかけとなったのは、化学者クリスチャン・フリードリヒ・シェーバイン(Christian Friedrich Schönbein 1799-1868:ドイツ/スイス)の発見したニトロセルロースでした。1845年、シェーバインは妻が厳禁していたにもかかわらず台所で薬品の実験を行なっていたのですが、その際、硝酸と硫酸をこぼし、慌てた妻がエプロンでそれを拭きとりストーブの上に吊るして乾かしていると、着火したエプロンは一瞬に燃え尽きてしまいました。この時、シェーバインはエプロンの素材である綿(セルロース)がニトロセルロースに変化することを偶然発見するのです。

後にニトロセルロースは無煙火薬の製造を可能とし、大砲や銃器に用いられたことから綿火薬(ガンコットン:Guncotton)と呼ばれることとなります。この綿火薬は、1848年、化学者メナードによって新たな写真術コロディオン法に使用される粘着性の媒体剤(コロディオン)へと改良されます。

新たな写真術が続々と登場

メナードの発明したコロディオンに着目し、1848年夏から早速にも実験に乗り出したのはフレデリック・スコット・アーチャー(Frederick Scott Archer1813-1857:イギリス)でした。アーチャーはそれまでのコロディオンを使用し、紙ネガをガラスネガに進化させ、コロディオン・タイプ(ガラス湿板法)を編み出し、さらにペーター・フライとともにガラスネガそのものを最終形態として見るコロディオン・ポジティブを発案します。

そして、このコロディオン・ポジティブの薬剤をさらにガラス上で美しく見えるよう改良を加えたアンブロタイプを考案したのが、アメリカのジェームス・アンブロス・カッテイング(James Ambrose Cutting 1814-1867:アメリカ)です。また、同じ湿板法でありながら、ガラスではなくブリキにコロディオンを塗布した、スミスの発案したティンタイプもこの時期に登場します。1855年から65年の10年は、生まれたばかりのさまざまなタイプの写真術が枝分かれして新たな写真術が次々に生み出された時期でもありました。

[湿板の変化]

発案者 内容 技法
タルボット 紙ネガから紙に印画 カロタイプ
(タルボタイプ)
アーチャー ガラスネガから紙に印画 コロディオン・
タイプ
アーチャーとフライ ガラスネガの像を最終的な像とする コロディオン・
ポジティブ
カッティング コロディオン・ポジティブの薬剤をさらに進化させた アンブロタイプ
スミス アンブロタイプの印画材をブリキとする ティンタイプ

湿板法の浸透が進まなかったアメリカ

さて、アメリカでダゲレオタイプと同時期に発案されたカロタイプが主流とならなかったのは、像の不鮮明さが主な理由でした。そのため、アメリカで一般的にネガポジ法に興味が持たれ始めたのはアーチャーのコロディオン・タイプから、と言っていいでしょう。しかし、コロディオン・タイプは、初期の段階では価格も安く何枚ものプリントを作ることができる、というポテンシャルも兼ね備えていましたが、一方では、プロセスに手間がかかる、ガラスのため重く壊れやすい、ダゲレオタイプと比較すると像が不鮮明などのいくつかの問題のため、1853年から55年の間、アメリカのダゲレオタイピストたちは興味は示していたものの、まだ完全に移行するには至りませんでした。

また、この背景にはダイレクト・ポジティブであるダゲレオタイプからネガティブ・ポジティブに移行するには、先の問題点から、機材商や資材商が湿板法のための商品をメインラインとして生産することに二の足を踏んでいた、ということも挙げられます。この状況は、アメリカ独自のアンブロタイプが登場してからも改善されることはありませんでした。従って、湿板法の中においてアンブロタイプは、ダゲレオタイプの次に非常にアメリカらしい写真術ではあるものの、短命です。アメリカが本格的に湿板法に乗り出したのは、アンブロタイプの印画材をそれまでのガラスからブリキに代えたティンタイプが登場してから、と言っていいでしょう。

このようにさまざまな写真術が生まれ始めたこの時期はまた、写真家たちのふるい落としの時代でもありました。新しい技術を受け入れることができず、言いがかりのような論争を繰り返すそれまでのダゲレオタイプに固執したダゲレオタイピストたちの多くが、この流れからふるい落とされ、ビジネスを去ってゆくことになりました。

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安友志乃 Shino Yasutomo

文筆家。著書に「撮る人へ」「写真家へ」「あなたの写真を拝見します」(窓社刊)、「写真のはじまり物語 ダゲレオ・アンブロ・ティンタイプ」(雷鳥社刊)がある。アメリカ在住。

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