写真で食べていく方法

マネージメントという選択肢

文:清田麻衣子

社長秘書からレップ事務所のスタッフに転身、その後、フリーを経て、フォトグラファー・市橋織江氏のマネージャーを務める佐藤佳代子氏。写真展の企画・プロデュースを手がける敏腕マネージャーに市橋さんとともに話を聞いた。

いいときも悪いときも一緒に乗り越えられる人を支えたかった

───売れっ子フォトグラファー、市橋織江が所属するのは「佐藤佳代子事務所」。代表者・佐藤佳代子の名を冠する、フォトグラファー1名にマネージャー1名という、珍しい形態の事務所だ。フォトグラファー自身の名を冠する個人事務所でもなく、また、多数のフォトグラファーやヘアメイクを擁するレップでもない。市橋の写真に一目惚れした佐藤氏が口説きの電話を掛けた。「行動あるのみ」という佐藤氏の身上は、業界未経験でこの世界に飛び込んだというエピソードからも顕著だ。

img_special_earning02_01.jpg マネージャーの佐藤佳代子さん(左)とフォトグラファーの市橋織江さん(右)。

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業界を知らずにマネージャーに

佐藤 新卒から6年間社長秘書をして、30歳手前で転職しようと思いました。居心地は良かったのですが、このまま一般事務をずっと続けるのかなあと思って。退職し、ロンドンで2年弱、語学学校に通いました。日本経済新聞UK支社でアルバイトしながら、ペインターとかフォトグラファーの活動をしている友人が何人かいたんです。みんな輝いて見えました。聞けば彼らはみんなエージェント、いわゆる「レップ」に所属しているといい、私は全然業界のことも知らなかったのですが、すごく興味を持ったんです。日本で友人にレップの話をしたら、友人が『コマーシャル・フォト』の「レップ特集」を見せてくれました。私は社長秘書をしていたこともあり、誰かを支えるという意味では一緒だと思い、3社くらい受けてボン・イマージュに採用していただきました。入った当初はネガとポジの違いもわからず、フォトグラファーにこっそり教えてもらったり。ヘアメイク、フォトグラファー合わせて5人程担当しました。「天職かも」と思いました(笑)。夜も遅かったけど楽しかった。当時は雑誌のファッション撮影が主でしたが、現場も初めてで、撮影に同行したり、いろいろ勉強させていただきました。イマージュの赤坂さん(当時の社長)に学んだことは今でも私の宝です。

───独立のタイミングは入社2年後に訪れる。ただ、この時点で独立して事務所を立ち上げるという意識はなかった。

佐藤 組織の中で働くことに限界を感じて、リセットしたかった。自分がイチからやりたいという欲求が出てきたんですね。だから抱えていたアーティストを引き連れた独立ということでもありませんでした。前の会社にもお世話になったし、しがらみができるのも嫌だったんです。

単身ニューヨークでレップ訪問

───退社後、佐藤さんはふたたび海外へ渡る。今度はニューヨーク。そしてここでも持ち前の行動力がモノを言う。

佐藤 2ヵ月間、単なる旅行だったんですが、せっかくなら気になっているフォトグラファーのブックを見たいと思って、5社くらいアポをとって見せてもらいました。「私はクライアントです」くらいのことをメールの文言では書いたと思います。結構すんなり見せてくれましたよ(笑)。

───何人かのフォトグラファーと会う中で、当時すでに12年ほどニューヨークで活動していた渡邉肇と知り合う。この出会いが事務所設立へと佐藤を突き動かす。

佐藤 最初は日本人同士フランクにお話をした感じでしたが、帰国して今後を考えていたときに、「日本でいつもやっている仕事があって、それを手伝ってもらえないか」と、渡邉肇さんから電話がきたんです。私は、肇さんが帰国する1ヵ月間くらいかなと思って気軽に引き受けました。

 

肇さんは緻密にスタジオで作業される方で、出会った頃はビューティがメインでしたが、この人だったら広告もどんどんやれると思い、広告という未知の世界に挑戦することが私自身楽しみでした。

───渡邉肇氏の日本での仕事が増えるに従い、2002年10月に個人事業主として「佐藤佳代子事務所」を税務署に登録。規模拡大を狙うのではなく、一人一人をじっくりとマネージメントしたいと思った。

佐藤 会社組織にしてもともと大勢抱えようとはイメージしていなくて、私がサポートしていける範囲となるとやっぱり2、3人くらい。その後、肇さんが日本に拠点を移すことになって、設立から1年後くらいに事務所を広尾に移しました。私がいいと思う作品を作る人をサポートすることで、それが世の中に受け入れられたら私もとても嬉しいんです。そしてその形で、肇さんとは真逆のタイプの人をやってみたいという気持ちは常々ありました。

次の一人もすごく丁寧に探したいと思ったのですごく慎重でした。私としては始めたらもう死ぬまで一緒っていう感覚なので。

img_special_earning02_03.jpg 2013年12月14日~2014年3月2日、箱根彫刻の森美術館 本館ギャラリーで行なわれた「市橋織江展 2001-2013」のポスター。 img_special_earning02_04.jpg会場外観

───事務所も軌道に乗り2年が経ち、心が沸き立つような写真との出会いが訪れる。この時も、行動力は並外れていた。

佐藤 『コマーシャル・フォト』2004年9月号の市橋織江特集を見て「ワッ」と思って、誌面に載っていた電話番号にすぐ電話しました。

市橋 まだ忙しくなりはじめて間もない頃で、マネージャーなんて考えてもいませんでした。請求書もスケジュール管理も全部自分でやっていて必要だと思ったこともなかったし。だから突然電話が掛かってきて、怖くて親に相談しました(笑)。

佐藤 芸能プロダクションにスカウトされたみたいじゃない(笑)。

市橋 親にも「お金を取られるだけだから気をつけろ」と言われて(笑)。ものすごく警戒して会いに行ったんです。

佐藤 私は直感で動くタイプなので、何かする際に不安はあまりないんです。自分が信じて「良し」と思ってやることだから。それが相手のタイミングじゃなかったとしても、考えた結果の行動だということは相手には伝わっていると思うし。相性も大事なので、私も一度会って、とりあえず心の中に置いておくという感じだったんです。そしたら市橋さんから電話がきた。

市橋 近々に海外での長期撮影があって、いつも海外に行く時の連絡先がなくて困っていたので。怪しいと思いながらもとりあえず1ヵ月だけ試しで始めたんです。

佐藤 試しだったんだ!

市橋 でもロンドンにいるフォトグラファーの友人に佐藤さんの話をしたら、「その人知ってる。すごくいい人だよ」って言われたんです! すごい偶然。

佐藤 それで信じてもらえたらしい(笑)。

img_special_earning02_05.jpg img_special_earning02_06.jpg箱根彫刻の森美術館 本館ギャラリーで開催された「市橋織江展 2001-2013」の会場写真。オリジナルプリントはもちろん、大判プリントも多数展開。2ヵ月半に及ぶ長期間の展覧会だった。

〝似た者同士〟の12年間

───情熱的なラブコールに、運命的とも言える出来事も手伝い、晴れて市橋織江は佐藤の事務所に所属することになった。

佐藤 市橋さんは仕事を断らないんです。出会った頃から大忙しで、私はもっと話し合いたかったんですけど、そんな時間も全然なくて、昼は撮影、夜はプリント、雑誌の連載も広告みたいなイレギュラーなものもあって、「どの合間を縫って電話したら出てくれるかな」みたいな感じでした。

市橋 いつも不安なんですね。もっとすごい人は自分のクオリティを保てないならやれないって思ってると思うんですけど。

佐藤 市橋さんはその時、その一瞬の一枚にかけている感じ。そんな人はなかなかいません。だからフィルムなのに感材費で驚かれたことがない。

また、広告だと特にクライアントの意向があると思うんですが、「市橋さんのカラーが出たらいい」というお仕事が当時からすごく多くて。それはほんとうに幸せなことだと思います。 

───佐藤さんは2007年に第1子を出産。出産時はスケジュール管理だけ知人に手伝ってもらい、産んだその日も病室からギャラの交渉の電話をしていたという。そして2009年に第二子を出産し、事務所を広尾から自宅に近い世田谷に移すタイミングで渡邉肇氏が独立。所属は市橋織江氏のみになり、2人は密に顔を合わせるようになる。

市橋 当初は、雑誌、広告、書籍が中心で、私はもともと作家としてアピールしたいと思っているほうでもないので、写真集も写真展も、先方から話をいただいた感じだったんです。でもどんどん仕事の規模が大きくなって、プロジェクト的なことは全部佐藤さんに仕切ってもらいました。

佐藤 主体的に決めないとならないことが増えてくると、バランスをうまく調整しながら進めなくてはならない。

市橋 箱根彫刻の森美術館の展覧会(2013年)はほんとにお世話になりました。予算内でどういう展示ができるか、サイズも仕様も全部。初めてやることなのに。

佐藤 市橋さんの写真は変わらないし、小さい写真展は何度かあったので市橋さんのやりたいイメージはつかめていました。

市橋 今はクリエイティブなことに関しても頼りにしてます。私の写真をいちばんよく知ってくれている。佐藤さんはすごく一般的な見方をするんですよ。作家が捻っていきがちなところをすごくフラットに見てくれるから、「どの写真が好き?」っていつも聞きますもんね。

佐藤 好き嫌いで言わせたら全然ブレないので(笑)。

市橋 私も自分の経験がなくても、新しい仕事が来るとなんでもチャレンジするほうなんです。映画の経験もなかったのに『ホノカアボーイ』でムービー撮影をしたりとか。そういう点は佐藤さんと似ています。すごいアーティスト志向でもないし、すごいミーハーでもない。いい意味で〝ふつう〟なところも。だから、全然組織的ではなくて、佐藤さんとは、人として一対一としてやっている感じです。理想もなかったので、気付いたらそうなっていた。相性が合ってたんでしょうね。

佐藤 写真家自身が事務所に何を求めているかはっきりさせることが大事。経理なのか、とにかくブックをいろんなところに回してほしいのか。事務所の得意ジャンルに自分の進みたい方向性があるかどうか。大手事務所に入ったら望んでいる仕事がもらえるわけでもないですし、有名ADほど、マネージャーより写真家自身と会いたがる。大人数の事務所に入る場合は、自分の担当者と価値観が合うかどうかが大事だと思います。

私ももう一人位、いい人がいたらやってみたいと思っていますが、市橋さんの写真を見過ぎているので、デジタルの写真に気持ちがついていかなくて。いま新人はほぼ100%デジタルで、グッとくることが少ないのが現状です。作品が良くて話した時の相性が良ければと思っているんですが。いいときも悪いときも一緒に乗り越えられる価値感の人と一緒にやれたら。好きだったらフォトグラファーでなくてもいいかもしれない。この仕事は自分の好きなものがあれば、そこから始まると思います。あとは出会いとタイミング。行動あるのみです!

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2012年6月9日~7月16日、ポーラ ミュージアム アネックスで開催された市橋織江個展「IMPRESSIONNIS ME」。
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2014年6月19日~7月28日、キヤノンギャラリーSで開催された市橋織江写真展「Interlude」。

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