写真で食べていく方法

写真家と写真展をキュレーションするという選択肢

文:清田麻衣子

インディペンデント・キュレーターの菊田樹子(みきこ)氏は、キュレーターとしての仕事をイタリアで始め、現在では日本、そしてヨーロッパを中心に様々な写真家と展覧会を開催し、同時に多くの才能を世の中に広めてきた。そんな菊田氏に話を聞いた。

作品に一番いい形は何なのかを探るのがキュレーターの仕事

───日本人では数少ないインディペンデント・キュレーターとしてヨーロッパと日本を股にかけて活躍する菊田樹子さん。日本ではキュレーターという言葉自体、一般にはあまりなじみが薄く、さらにインディペンデントとなると、どんな仕事をするものなのか、謎は深まるばかり。しかし、お話しを伺ううちに、「キュレーション」という言葉の本来の意味が見えてきた。 

img_special_earning05_01.jpg img_special_earning05_02.jpg Sweden/Umea。スウェーデンのヴェステルボッテン州美術館での「日本に向けられたヨーロッパ人の眼・ジャパントゥデイ vol.16」の展示(2015年)。
高知県を撮り下ろした作品。

上の写真でパネルの横に立っている人が菊田さん。
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菊田 シンプルに言うと、写真家と観る人をつなぐ仕事です。写真家は撮ること、もしくはそれをプリントにして形にするところまでは想いも強いのですが、それをどう見せたら良いのか、という点には意識が二の次の方も多い。言語化できないから作品にするという人がほとんどだと思いますが、展覧会を作っていくのはある程度言語化や整理が必要になります。場所によっても見せ方は違ってきますが、写真家はそこまでは考えてもいられない。私の仕事はそこをサポートすることです。

私も仕事を始めた頃は「作品に力があれば説明する必要などない」と考えていましたが、いまは写真が多様化してきているので、一体これがどういうコンテキストで作られ、どういうものなのかをある程度説明しないとなかなか面白味を感じてもらいにくい。だからこの仕事は必要になってきているのではないかと思います。

ある作品を写真史の中で、また、その写真家のこれまでの作品の中で、どのように位置づけるのかを展示で明らかにしていくのも私の仕事です。たとえば、「この写真は風景写真としても見ることができる。もし風景写真とするならば、こういう位置づけになる」というようなことです。

写真家自身は自分の作品が写真史や時代などの流れの中でどういう意味があるのかわからない場合も多い。私は、たくさんある作品の中から、できるだけその位置づけを明らかにできる作品を選びます。場合によっては作家としてはベストの作品でないものも含まれるかもしれませんが、「今回はこれを出したほうが絶対に伝わりやすいので、こちらを展示しましょう」などと提案します。つまり作品の中に新しい価値を発見して、これはこういうことなんじゃないかと仮説を立てて、作家と話し合い、展示を組んでいく。テキストも書きますし、すべて作家と二人三脚でやっていきます。

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img_special_earning05_05.jpg 「Sciencescape ——科学が押し開く新しい風景——」吉岡さとる写真展(2014年)より。京都・北山に佇む古民家で、最新の科学実験施設をとらえた作品を展示した。

イタリアで活動を開始

───菊田さんが活動を開始したのは、イタリアだった。しかも、一度就職してからの海外留学。この経歴に、日本では珍しい「インディペンデント・キュレーター」の道を進んだ理由が見えてくる。

菊田 もともと美術や写真が好きで、特に写真は私が高校・大学時代に注目を集めていたので、たくさん見ていました。ただその道に進もうと考えたことはなく、大学に進学し、就職もリクルートに決まったんです。ただ、働きだしたらヨーロッパに絵を観に行く機会もないだろうと思い、卒業旅行でイタリアに美術を見に行きました。教会にフレスコ画が描かれていたりする土壌に実際に触れて、「ああ、私が見ていた美術ってこういう中から生まれたんだ」と改めて思った。そして、それまで何も知らずに何をやっていたんだと思いました。あまりのすごさにその時は途中で、「これ以上見るのはやめよう」と思ったほどの衝撃でした(笑)。でもその時既に内定はいただいていたので、お金を貯めて、イタリアで美術史を学ぼうと決めました。

───リクルートでは広告の制作の仕事に配属される。新入社員にも何でもやらせてくれる会社で、入ってすぐに写真家と一緒に仕事をしたり、自分でコピーを書いたり、デザイナーと打ち合せをしたりと、ディレクションをすべて担当した。その仕事を通して、いろいろな意志伝達のために機能する広告写真に触れ、それも強い刺激になったという。そして3年後、留学資金が貯まったところで、予定通り退社し、渡伊。

菊田 イタリアでは、近代とか中世の美術史を勉強し始めたんですが、言葉も難しいですし、歴史とか哲学の話が関わってくる。すごく面白かったのですが、街の、いま動いている現代アートのギャラリーを見る方が面白くなってきた。ただそれらを見るのにも、美術史ももちろん役に立ちました。また並行して写真史も学んでいて、当時、日本でも「ガーリー・フォト」と呼ばれる若手女性写真家がどんどん出てきていた頃で、イタリアでも女性だけではないのですが、面白い若い写真家が活躍し始めていたんです。

───ギャラリーを回るうちに作家に依頼を受けて、展示を手伝うようになった菊田さんは、ごく自然にイタリアの現代アートのギャラリーで仕事を始めるようになる。

菊田 作家が展覧会をやるので助けてくれないか、と声をかけてもらったのが始まりです。当時、私はキュレーションという言葉すら知らなかった。ヨーロッパではインディペンデントのキュレーターも数多く活躍していて、しかも私は労働ビザで来たわけではないので、フリーでやるしかない。だから、右も左もわからないところから手探りでしたが、あまり抵抗なくインディペンデントでキュレーションを始められました。また、イタリアという国は、「何かを作る」ということを人間の最大の価値だと信じているところがある。だからモノを作ることに対してみんなすごく一生懸命な気質があるし、やったことに対してもすごくフィードバックがあるんです。特に展覧会は、作家もキュレーターもその場でいろいろ言われるので、生(なま)な感じが私はすごく好きです。そのほうがすぐに次の仕事にフィードバックできますし。ライブで返ってくるのが私には合っているんです。

また、イタリアではパブリックではないオルタナティブなスペースがすごくたくさんあり、そういったところから日本のアートの話をしてくれないか、と言われることが増えていきました。そうやって現代アートから出発して、だんだん写真に関しても、呼んでもらって話したり、自分で展覧会を企画したりということを、イタリアで2年半くらいやっていました。

日本人とヨーロッパ人の違い

───そして2000年、帰国。すぐに菊田さんは「日本に向けられたヨーロッパ人の眼・ジャパントゥデイ」写真プロジェクトのアーティスティック・ディレクターをはじめとして、ヨーロッパと日本の架け橋ともいうべき仕事を次々と手掛けていく。

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img_special_earning05_07.jpgオーストリアでの「日本に向けられたヨーロッパ人の眼・ジャパントゥデイvol.11」の展示(2009年)。美術館近くの高校生向けにギャラリートークも企画した。
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菊田 「日本に向けられた〜」のプロジェクトは、すでに99年から開催されていたプロジェクトで、4回目の2001年から私が携わるようになりました。この企画では、報道・ドキュメンタリーではなく、いわゆる現代写真の作家にお願いすることにしました。美術寄りの現代写真は発表の場が少なかったからです。そこにわかりやすい日本が写し出されていなくても、それを自分の力で考えてもらえればと思っています。彼らの写真は一見不可解でも、コンセプトが練られているので、そのあたりをきちんと説明していくのが私の役割だと思っています。基本的には日本に住んだことがない写真家を選び、テーマを議論して、約1ヵ月、ある県内の行きたいところに行って撮ってもらう。

宿泊先を探し、最初のうちは同行まで…あらゆることをやります。一緒に写真集を作り、ヨーロッパの欧州文化首都と日本の撮影県で展覧会を行なうというプロジェクトです。「In-between」は、逆に日本人の写真家を選んで、EU25ヵ国で撮影を行ない、写真集を制作するというものです。ヨーロッパの写真家は、下調べも入念にして、ある程度コンセプトを考えてから撮影に入りますが、日本の写真家は、行ってみて、あまり考えすぎずに感覚で、その場を受け入れて、吸収していこうというタイプの方が多いように思います。

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「日本に向けられたヨーロッパ人の眼・ジャパントゥデイvol.15」の写真集。
各写真家の個性を打ち出すため分冊としている。
イヤマデザインの抑制のきいた装丁が写真を活かしている。

塩竃でポートフォリオレビュー実施

───国際的な規模で写真を見ている菊田さんだが、携わるプロジェクトには、日本の小さな地方都市と組んだものもある。

菊田 2008年から塩竈フォトフェスティバルを行なっています。展覧会、ワークショップ、そして、ポートフォリオレビューの優秀者に写真集の制作権が授与される写真賞が開催されます。ヨーロッパではポートフォリオレビューが盛んで、チャンスをつかむ場として認知されています。自分の作品を本当に良いと思ってくれる人は、まずは100人のうち2〜3人もいればいい。その強い味方をどうやって見つけていけるかが活動を続けていくためには大事なことだと思うのです。

でも日本人はヨーロッパ人に比べて写真を見せて意見をもらうことにオープンではない。そこで、塩竈の話が来た時に、是非ポートフォリオレビューをやりたいと共同企画者である平間至さんに話しました。

塩竈ではできるだけリトルモアの孫社長など決裁する立場の方を審査員に招いて、その場でチャンスをつかめるようにしています。若手の登竜門的なものです。この賞では、都市の価値観や国際的なトレンドとは関係なく、普遍性のある作品に賞を与えています。一見地味な作品でも、完成度が高く、写真家に譲れない思いがあって、継続していけるテーマであれば、そういった作品に賞を与えようと思いました。その賞の一環で、制作費はそんなにかけられませんが、「写真集を作る」ということ自体が初めての人たちに、今後に活かせる経験となるような写真集を一緒に作るようにしています。予算は限られていますが、写真のチョイスから色校の見方、自分の名前の表記の仕方、キャプションの入れ方まで細かいことをじっくり話し合い、たとえば制作に2年かけた写真集もあります。作家というのは孤独な仕事だと思います。

撮影して、写真集つくって、展示も、プロモーションも、一人でずっとやっていくのがしんどい時もある。私は作家に対する尊敬の念が強いんです。作品についていちばん良い形は何なのかを一緒に探っていく。それがキュレーターの重要な役割のひとつだと思っています。展示や写真集を作る喜びを作家が知ってくれたら、今後も活動を続ける原動力になるはずです。こうして作られたものは、見る人にも写真の強さを改めて感じていただけるのではないかと思っています。

img_special_earning05_11.jpg塩竈フォトフェスティバル2013写真賞受賞者、篠田優の写真集。
img_special_earning05_12.jpg 塩竈フォトフェスティバル2011写真賞受賞者、倉谷卓の写真集。

───今後、日本でインディペンデント・キュレーターになりたいという人は、どうしたら良いのだろうか。

菊田 展覧会の企画会社というのがありますよね。私は全然そういう知識がないまま一人でやって来てしまったんですが(笑)。または美術館で学芸員をされて、外に出るという方法ももちろんあると思います。厳密にはインディペンデントは学芸員とは違います。美術館はコレクションも大切な仕事ですし、企画展示も枠があるので、10人学芸員がいたら自分の企画は10回に1回になる。ただ箱があるので見に来てくれる人の数はある程度確保されると思います。インディペンデントは、ある意味自由ですが、自分で仕事をつくり出さなくてはいけないし、何でも自分でやらないといけない。日本ではまだ定義が曖昧な仕事ですが、ヨーロッパやアメリカではたくさんいますし、彼らもサバイバルしながら生きています。

私はインディペンデントのキュレーターみたいな仕事が世の中からなくなったら、作家にとっても観る人にとっても良くないことだと思ってるんです。すべてが組織単位となると、大きな組織が強くならざるを得ない。でも、たとえばショッピングモールの素晴らしさもあるけど、個人商店だからできる品揃えってあると思うんです。だからなんとか続けたいですね。誰からもこんな展覧会があったらいいななんて頼まれてないのに、「こういうのやったらいいですよ」と言い続ける。そういう意味では作家と同じです。

最近は、日本でも自治体などの大きな組織ではなく、似たような考えを共有できるNPOや個人と一緒に企画をすることも増えてきました。ヨーロッパでは市民が独自でいろんなことをやっていますが、この10年ぐらいで日本も変わってきていますよね。街の規模に関係なく、自分たちの力で何か新しいものを創り出そうとしてる人はたくさんいます。そういう方々と一緒にお仕事をすると、お互い学ぶものが大きいです。

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img_special_earning05_14.jpg2011年、リトアニア・ヴィリニュスでの日本の若手写真家(佐伯慎亮、うつゆみこ、佐藤華連、中島大輔)によるグループ展。オープニングには100名を越える来場者が集まった。
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