2010年02月26日
豊かな大地を求め西へと移動し続けた開拓者たち
アメリカの文献を調べてゆくと、入植者(セトラー/settler)と移民(イミグラント/emigrant)という言葉が1910年ぐらいまで混在して使われています。入植者というのは移民の体制がきちんと確立されるまでにやって来た人々、未開の地を開墾した人々、言ってみれば開拓者(パイオニア/pioneer)ですが、移民の手続きを踏んでやって来ても、そこが未開の地であれば入植者という言い方をする場合があります。
広大な未開の大地へ入植が始まる
確かに、1900年代になってなお、人の目にそれまでさらされたことのない自然がいくらもあったのです。現在でも50歳以上でアメリカの田舎に育った人の話を聞くと、大の大人が12人かかって手をつなぎ合わせてもまだ幹の周囲に届かない、そんな巨木の原生林(ティンバー/timber)があちこちにあった、と聞きます。ティンバーランドというアウトドアのブランドがありますが、まさにそのネーミングの通りだったのですね。この自然の豊かさを考えれば、入植者と移民の表記がいつまでも混在して出てくるのが納得できます。
アメリカの本気の西部開拓は1865年から1890年ですが、1600年代から人々がアメリカ大陸へ移り住み、260年かかってようやく西側の開拓がはじまった、というだけでもその広大さを想像していただけると思います。ちなみに、アメリカ東西の距離はおよそ4700キロ。東の都市を東京に位置すると、西の端は中国大陸を越えブータンの下、ダッカの上です。
そして、入植者たちは作物の取れる豊かな大地を求め、西へ西へと移動して集落らしきものを形成してゆきました。同じ西洋でありながらアメリカがヨーロッパと異なるのは、この都市の形成方法です。ヨーロッパの場合、城を中心に、その周りを軍が固め、その外は荘園と呼ばれる領主の管理する農地があり、その外に農民が暮らし、さらにその外に市場があって郊外に続く、という城中心の軍備上の都市を形成したのですが、アメリカの場合、軍備の必要性はなく、作物の都合上に人々は暮らし始めた、と言えます。
今ではその作物の都合すらほとんどなく、さらには自由の国ですから、西5キロにスーパーがあり、東8キロに病院がある、というまったく点でばらばらなその辺一体を、とりあえず一括りで町と呼んでいる、というようなところが内陸部にはたくさんあって、この脈略の無さってなに、と首を傾げたくなる光景にしばしばお目にかかります。例えば、荒野の真ん中にいきなりポツンとストリップ・バーが出現したり、建ててはみたものの誰も来ない廃墟の教会が突如、平原のど真ん中に登場したりして、建てたいから建てた、という強い意志だけがそこはに感じられます。
待っていたのは想像を絶する苦難の年月
さて、こんなとてつもなく広い大陸を西を目指して行くわけですから、その苦労たるや大変なものでした。ヨーロッパから到着した人々は港周辺の町で旅一式の雑貨を買い込んで馬車で西を目指し始めるのですが、少なくとも半年から一年がかりで目的地に到着していたようで、通常は真冬のうちに出発していました。大きな湖が凍結しているうちに渡りきるためです。地図らしきものもほとんどなく、人々が残した轍(わだち)の跡が頼り。大きな河ともなれば冬でも男性は馬車から降りて流れを読んで馬のたずなを引き、家族を積んで馬車ごと渡らせていました。
旅の途中の宿泊は馬車の中でしたが、馬車を止めると馬の蹄をまず手入れして火を焚きます。焚き火はコヨーテや狼から身を守るためで、男性は旅を共にしてきた番犬と共に焚き火の周りで仮眠していました。また、よく人々が通過する旅の途中には小屋が建てられており、中には簡易の暖炉と蚕棚のような板だけのベッドが壁全面に取り付けられていましたが、こんな宿泊所にめぐり合えるのはほとんど幸運な方でした。入浴は冬の間は数ヶ月もできず、馬車はしょっちゅう泥るみに落ち込んで故障し、骨折したり車輪が壊れたりして、こうしたアクシデントの数々は旅の日程を数週間も簡単に狂わせました。
お天気のいい日はまずますでしたが、雨や雪の日の馬車の中は最悪で、びしょぬれでもジメジメしていても、じっと我慢して旅を続けましたが、あまりの過酷な長旅に具体が悪くなって、特に体力のない子供や幼児が途中で亡くなるケースも多く、穴を掘り遺体の上に土を盛って固め、木の切れ端で作った十字架を立て、その場を立ち去る以外に手立てがありませんでした。そして、そんな簡易の墓にさえ一生のうちにもう一度たずねることすらできなかったのです。食料はそのほとんどがハンティングでまかなわれ、ライフルは身を守るためにも獲物を手に入れるためにも必需品でした。
ローラ・インガルス・ワイルダー(1867年ー1957年)が自叙伝「大草原の小さな家(Little house on the Prairie)」を執筆し、1870年代の開拓時代の生活を描いていますが、ダゲレオタイプが登場した当時のニューヨークやボストンに暮らす1840年代の人々と比較しても、この本を読むとそれがダゲレオの時代から30年も後の話にもかかわらず、内陸部から西がいかに未開の地であったのかがわかります。
写真のはじまり物語ダゲレオ・アンブロ・ティンタイプ
アメリカの初期の写真、ダゲレオタイプ、アンブロタイプ、ティンタイプを、当時の人々の暮らしぶりと重ね合わせながら巡って行きます。写真はどのように広まったのでしょう。古い写真とみずみずしいイラストとともにめぐる類書の少ない写真文化史的一冊です。写真を深く知りたい人に。
安友志乃 著 定価1,890円(税込) 雷鳥社 刊