2010年03月26日
厳しい自然の影響を受けたアメリカならではの食文化
そもそもアメリカは、ポテトが主食だったゲルマン系の人々から出発したのですが、もともと食にさほど興味のなかった彼らが更に流通の不便な中央部から西へと移動していったわけですから、日本人のイメージする食文化の豊かさはここにはないのが現状です。スーパーマーケットには通年、同じ品が同じ場所に同じように盛り上げられています。蕗が出たからもう春だね、というような季節感はなく、その代わり、感謝祭の前にはターキーが山積みになったり、クリスマスの前にはハムが前面に出てきたり、つまり、陳列のボリュームが変わることで季節を感じられる、というわけです。
天候や土地次第の食事情に重要なのは繊細さより男手
さて、開拓時代の人々の食のほとんどは、肉や魚類は狩りで手に入れたものが、野菜やハーブ類は栽培したものが食卓に上っていました。ただし、これらの食材を手に入れられるかどうかは気候と土地の良し悪しに大きく左右され、コンスタントに食料を手に入れることはとても大変でした。そのため、塩漬けや燻製、それにピクルスといったような保存食が発達します。つい近年(1950年代ぐらい)まで、農家にはキャニング・センター(Canning center)という小屋がありました。これは、果物や野菜を缶詰やジャム、ピクルスに、肉や魚をベーコンやジャーキーなどの燻製や塩漬けにするための保存食作り専用の小屋で、大量の収穫時は、親戚や近所の人たちがお互いに助け合いながら保存のための食料を加工していました。
では、具体的にどんなものを食べていたのか。今、私の手元には1796年に出版されたアメリア・サイモン著、アメリカ最古の料理本The FIRST AMERICAN COOKBOOK、その他1860年代までの料理本が数冊あります。その全てで取り上げている肉類は、牛肉、豚肉、ラム、子牛(母親の胎内のもの)、鹿肉、鶏肉、七面鳥、ガチョウ、鳩、うずら、ウサギ、珍しいところでは亀。
鹿、七面鳥、ガチョウ、鳩、うずら、ウサギは狩りで、牛、豚、羊、鶏は飼育していましたが、全てを自分で初めから解体することになるため、どの部位をどんな手順で切り分けるか、細かな指示があります。
こんなふうに狩猟生活では男性の手を借りるというより、男性が中心にならなければ獲物を手に入れることも、解体することも難しいわけですから、男子厨房に入らず、という言葉が生まれる背景そのものがこの国にはありません。もちろん、狩りには男性たちが集まって泊りがけで出かけていました。料理以前に、素材をどう手に入れるかのほうが大きな問題で、そうした背景から、素材の微妙な変化に気を配るような繊細な料理の工程はこの国では発達しなかったのかもしれません。
そして、どの料理の本にも必ずと言っていいほど書かれているのが、火についてです。当時はかまどで火をたき、料理していたわけですが、強火、弱火、中火というのも薪を出し入れしながら調節していました。それが難しかったのでしょうか、現代の料理番組でも基本的に火力についての細かな説明がほとんどありません。
また、1900年代には一般家庭にオーブンが普及するのですが、それまではオーブンのある家庭は珍しく、七面鳥の丸焼きが必要になるサンクスギビングなどの特別な日には、大きなレンガのオーブンのある村のパン屋に頼んで焼いてもらっていました。
肉体労働に追われた人々の食事量
一体どれくらいの量を食べていたのか、というのも興味のあるところですが、当時、ほとんどの人々は肉体労働者と言ってよく、彼らの昼食は食パン一斤、とものの本にはあります。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩の一節に「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」とありますが、ご飯でお腹を膨らましていたのは開拓当時のアメリカでも同じでした。ですからパン屋では大量の食パンを毎日焼いていたのです。目玉焼きも今のように卵一個か二個ということはなく、一人五個から七個の卵を使っていました。それでもメタボな人がほとんどいなかったのは、身体性と生活が密着していたためです。
豊かさを手に入れた現代のアメリカの食は
さて、現代のアメリカの食は、語るにはそれはそれは悲しいものがあります。まず、女性が働き始めてから料理をしない傾向にあります。家族がいても三食外食、あるいはデリバリーという人たちも大勢いて、私の友人の50代のある独身女性は、三食冷凍食品です。食費が大変、と思われるかもしれませんが、高級レストランに行くわけではなく、食の質を落として仮にそれがファーストフードであっても外食がいい、となるわけです。そして、そんな割には意外にもキッチンはゴージャスです。キッチンはその女性の主婦としての成功の証、といった感じで、言ってみればプレゼンテーション・ツールの一つ。しかし、悲しいかなそのゴージャスなキッチンで一番稼動しているのは電子レンジです。ちなみに、電子レンジで加熱することを「Fix」と言うのですが、毎食、料理じゃなくてフィックスしておしまいです。当然のことながら、糖尿病は子供にまで拡大し、家から一歩出ると200キロ近い人と間違いなくすれ違うことができ、群集を写すと必ずといっていいほど肥満の人がその中にいます。
手軽なファーストフードの蔓延、車社会による運動不足などなど肥満の要因はいろいろあり、いまや肥満はアメリカの重大問題の一つです。そして、その原因をさまざまに分析した書籍もたくさんあるのですが、私が一番の原因と思うのは人々の意識です。200キロに至るまでに、120キロを通過し、140キロも、180キロも通過した。なぜ、そこを通過してしまったのか。
開拓時代から150年後の際限なく食べる人々その意識下には、豊かな生活を得ることこそが成功、という資本主義社会のストレスの落とし穴が、ポッカリ口を開けているように思えてなりません。
写真のはじまり物語ダゲレオ・アンブロ・ティンタイプ
アメリカの初期の写真、ダゲレオタイプ、アンブロタイプ、ティンタイプを、当時の人々の暮らしぶりと重ね合わせながら巡って行きます。写真はどのように広まったのでしょう。古い写真とみずみずしいイラストとともにめぐる類書の少ない写真文化史的一冊です。写真を深く知りたい人に。
安友志乃 著 定価1,890円(税込) 雷鳥社 刊