人々の歩み

さまざまな被写体の可能性

第二章 1846−1855 ⑧

人々を魅了したナイアガラのダゲレオタイプ

1851年にロンドンのクリスタルパレスにおいてホワイトハースト(Whitehurst)の写した9 × 13 inchの大判のダゲレオタイプによってナイアガラの滝が公開されました。ウエージ(John Werge イギリス・ダゲレオタイピスト)はこの展示を見て「これまでで最もすばらしい展示は、このダゲレオタイプである。中でも興味を引かれたのはポートレイトにおいても風景においてもアメリカン・ダゲレオタイプである。特にナイアガラの眺めはすぐにでもそこを訪れたくなるような出来栄えだ」と伝えています。

さて、夏は観光で稼ぎ、冬は写真で稼ぐナイアガラと言われていますが、1845年の夏、フィラデルフィアのヘイムス(Langen Heims)の写したナイアガラのダゲレオタイプがヨーロッパに送られ、人々を魅了しました。彼の努力にはダゲールのみならず、ドイツ、ロシア、イギリスとそれぞれの皇室からも賞賛がおくられた程でした。1853年からはナイアガラのプロはバビット(Mr.Bannit)に取って変わり、バビットはこの分野をほぼ独占しました。彼はアメリカ側からの滝の管理役としての権限が与えられ、その特権を活かして滝の下側にカメラを設置し、観光客の知らぬ間に彼らを写し、彼らが帰る際、それを記念として販売していました。ホワイトハースト、ヘイムス、バビットだけでなく、ロンドンでナイアガラのダゲレオタイプに魅了されたウエージもアメリカを訪れた際、ナイアガラに立ち寄り、膨大な数のダゲレオにおさめました。彼らのナイアガラのダゲレオタイプは数多く現存しています。

“動き”のあるものを捉えることに成功

1851年キャディー(Mr.Cady)はダゲレオタイプのスチームボートが岸から離れるようすを写し、ベッカーズ(Alexandre Beckers)はブロードウェーの眺めを鮮明に写しました。今で言うスナップショットに当たるわけですが、これは感光剤と銀板、それにカメラの精度、ダゲレオタイピスト達の技術がすでに動きのあるものを捉えることに成功していたことを示します。また、このことによって、被写体のバリエーションが格段に広がったこともうかがわせます。セントルイスのフィッギボン(Fitzgibbon)はミシシッピ河流域の交易を、フォンテンヤン(Fontanyne)とポーター(Porter)はシンシナティーの風景をパノラミックに写し取り、シカゴのヘスター(Alexandre Hester)はミネソタの風景を写しました。

この時期の特筆すべき出来事として、動きを捉えることができるようになった、ということがあります。もちろんシャッターがあったわけではなく、露光はレンズキャップを開け閉めして調整していましたが、このお陰で、ゆっくりとした動きの被写体との間に一定の距離が保てれば50分の1秒で写すことができました。またスタジオのポートレイトの場合、平均15秒から20秒の露光が必要でしたが、記録の中には最短2秒という記録が残っています。

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安友志乃 Shino Yasutomo

文筆家。著書に「撮る人へ」「写真家へ」「あなたの写真を拝見します」(窓社刊)、「写真のはじまり物語 ダゲレオ・アンブロ・ティンタイプ」(雷鳥社刊)がある。アメリカ在住。

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