2011年03月03日
印刷技術の発達が写真のプロセスを変えていく
1855年、夏の時点でアンブロタイププロセスはアメリカ国内で非常によく知られるようになり、1856年には、それまでのダゲレオタイプからこの新しいプロセスに移行する人々が多く登場しました。しかし、この勢いは、1857年になると紙印画による写真に取って代わることとなるのですが、これは、冊子や雑誌が印刷技術の発達により部数を伸ばしていたこととも関係しています。
当時の冊子、雑誌のイラストレーション部分は手彫りによる木版を使用し、各ページごとにオリジナルの木版からイラスト部分を刷るか、あるいは、ダゲレオタイプなどの写真から線画を起こす方法をとっていました。例えば、1850年代初めのアメリカン・イラストレーション・マガジンは、イラストレーションの全てにおいてダゲレオタイプを線画の元版としていましたが、翌1856年に登場したフランク・レスリース・イラストレーション・ニュースペーパーのVol.1と2では、123点のイラストレーションが使用され、内100点をアンブロタイプ、13点をダゲレオタイプ、10点を紙印画の写真から起こしています。
この配分は、1856年の段階でいかにアンブロタイプの人気が高まっていたかを示しており、また、ここに掲載された元版の撮影のほとんどを、当時人気のあったブレディ・ギャラリーが請け負っていました。翌1857年になると、レスリースはVol.3と4で168点のイラストレーションを掲載し、65点をアンブロタイプ、60点を紙印画の写真、2点をダゲレオタイプ、残る1点をメレイノタイプから起こしています。
下記の表は1856年から1857年のレスリースに掲載されたイラストレーションがどのタイプの写真を元版として使用したか、についての分類ですが、写真の新技術をいかに素早く印刷に取り入れていたかがわかります。
[冊子、雑誌に関するイラストレーションと写真の関係1856-1857年]
参考:フランク・レスリース・イラストレーション・ニュースペーパー
年代 | 掲載号 | イラスト 点数 |
ダゲレオ タイプ |
アンブロ タイプ |
紙印画の 写真 |
メレイノ タイプ |
---|---|---|---|---|---|---|
1856 | Vol.1,2 | 123 | 13 | 100 | 10 | - |
1857 | Vol.3,4 | 168 | 2 | 65 | 60 | 1 |
プロ並の腕を持つ副業写真家も登場
アンブロタイプの最盛期になると、副業写真家ながらプロ並の腕前を持つ者も登場し始めますが、それは10年ほど前、副業でダゲレオタイプを撮影する者たちがまともなダゲレオタイプを写すことができなかったことに比べれば、大変画期的なことでした。例えば、ニューヨークのヴァン・ビューレンという男性は副業としてアンブロタイプでポートレイトを写し、グランドとクロスビーの交差点角、警察署の向かいにあったThe Rogues Galleryという名のギャラリーで450点ものアンブロタイプを展示しました。そして、彼の本業は警察官でした。
さて、アンブロタイプのほとんどは、ダゲレオタイプと同じくポートレイトを中心に撮影され、風景は非常にまれでしたが、ニューヨークのホルムス(S.A.Holmes)はアンブロタイプを使用して、大変美しいナイアガラを撮影しています。ナイアガラはニューヨークからほど近く、そのダイナミックな光景は、ダゲレオタイプ期以後でも、風景と言えばナイアガラ、という当時の撮影の際の定番であったことがうかがえます。そして、当時の露光時間に関して、Humphreyジャーナルのジャーナリストは「トップライトの場合、ダゲレオタイプで2秒のところ、アンブロタイプでは20秒、つまり10倍の露光が必要である。」としてます。また、ある編集者は「真新しいコロディオンを使用した場合は2秒から4秒、開封後1週間経過したコロディオンに関しては15秒から20秒必要である」と記しています。
急速に進歩する写真技術
多くのダゲレオタイプでポートレイトを写していた写真館は、この時期、アンブロタイプへと移行することとなり、写真家たちは、ダゲレオタイプと同じ撮影料をアンブロタイプで撮影の際も適用していましたが、こうした変化はニューヨークでより顕著でした。ボストンおよびフィラデルフィアで行なわれたマサチューセッツ・チャリタブル・アソシエーションやフランクリン・インステチュートのフェアの優勝者(シカゴのへスラー、シェラキュースのバーナード、シンシナティのホーキンスとフェリス、ケンタッキーのウエッブスター・ブラザーズ、セントルイスのフィッツボーンなど)は、それをきっかけにニューヨークに進出しました。
1854年、アメリカで行なわれたこうしたフェアの写真部門への出品は、全てダゲレオタイプでしたが、1855年になるとダゲレオタイプがまだまだ中心ではあったものの、アンブロタイプや紙印画の写真が登場し、1856年にはダゲレオタイプは影を潜めほぼ全てが紙印画の写真へと移行し、同時に、ガラス、絹、布のキャンバスなどにも印画されました。わずか数年のうちに写真技術が大きく進歩した様子が、このことからも伺えます。
写真のはじまり物語ダゲレオ・アンブロ・ティンタイプ
アメリカの初期の写真、ダゲレオタイプ、アンブロタイプ、ティンタイプを、当時の人々の暮らしぶりと重ね合わせながら巡って行きます。写真はどのように広まったのでしょう。古い写真とみずみずしいイラストとともにめぐる類書の少ない写真文化史的一冊です。写真を深く知りたい人に。
安友志乃 著 定価1,890円(税込) 雷鳥社 刊
- コンプレックスを抱える男女のラブストーリー|デジタル短編映画「半透明なふたり」
- 博報堂プロダクツ シズルチームdrop 初の映像作品「1/2」
- カート・デ・ヴィジットの登場
- アンブロタイプの終りに
- アンブロタイプ パテント問題と衰退
- アンブロタイプから紙印画へ
- アンブロタイプのはじまり
- コロディオン法の登場
- ペーパー・ネガティブからガラス・ネガティブへ
- タルボタイプ(カロタイプ)の発展しなかったアメリカ
- 言葉の誕生「Photography」「Positive」 ハーシェル
- ネガポジ法のはじまり タルボット
- さまざまな被写体の可能性
- カラーへの欲望 ヒル
- 価格の低下
- 世界を牽引するアメリカン・ダゲレオタイプ
- プロフェッショナルの登場 ガーニー
- プロフェッショナルの登場 ブレディ
- プロフェッショナルの登場 アンソニー
- プロフェッショナルの登場 プランビー
- プロフェッショナルの入り口で
- 一般への普及
- 失意のアメリカ写真の父
- ウォルコットとジョンソン
- ドレーパー
- モールス
- 露光時間
- 初期の化学者たち