2011年02月10日
コロディオン法を改良したアンブロタイプ
1854年6月、ボストンに住むジェームス・アンブロス・カッテイング(James Ambrose Cutting 1814-1867:アメリカ)は、写真に関する三つのパテント(No.11213, 11266, 11267)を取得しました。最初の二つ、パテントNo.11213と11266に関してはコロディオン法の化学薬品にニトロセルロースとカンフル(樟脳)を添加するというコロディオン法の改良についてもの。そして、三つめNo.11267は、ガラス板に残されたコロディオンにあるイメージを香油の一種であるバルサムを使ってコーティングするというもので、これはアンブロスの考案したアンブロタイプ(Ambrotype)と呼ばれる新たな写真法に関するものです。
アンブロタイプはコロディオン法と同じプロセスではありながら、より濃いコロディオンを使用しガラスネガティブを作成します。これはコロディオン法と同じ原理で硝酸銀を使用したガラスネガティブなわけですが、黒い布などの上に置くと濃いコロディオンを使用しているために、コントラストが通常のガラスネガティブより明確になりポジティブのように見えます。フィルムネガティブの背後に黒い布などを置くとポジティブのように見えるのと丁度同じ原理です。
つまり、アンブロタイプは基本的にはコロディオン法をベースにしているわけですが、単純にコロディオン法のガラスネガティブを使用しても像の鮮明さには欠ける場合があるものの同じ結果が得られます。このことから、なにもアンブロスの考案した、コロディオン剤にニトロセルロースやカンフルを配合しバルサムを使ってコーティングした像だけではなく、それまでのコロディオン法で作成したガラスネガティブの背後に布などを置き鮮明に見えるようにしたものもアンブロタイプと呼ばれています。実際、アンブロスのオリジナルのプロセスによるアンブロタイプとコロディオン法のガラスネガティブとの目視による識別はかなり困難です。また、アンブロタイプは浮かび上がった像が銀を含んでいることから、ガラスのダゲレオタイプ、と呼ばれた時期もあります。
ポジティブ化のため背後を黒くする方法
さて、いずれにせよ像を見るためにはガラスネガティブをポジティブ化させるため背後を黒くする必要があったわけですが、そのため、アンブロタイプはダゲレオタイプと同じくケースを使用することになります。また、背後を黒くする方法は大きく四つありました。一つはガラスネガティブを入れたケースの底板を黒くペイントする方法、二つめはガラスネガティブとケースの底板の間に黒い布や黒く塗った金属板を入れる方法、三つめはガラスネガティブの裏側を黒くエナメルで塗る方法、四つめはガラス板そのものに工夫があり、ルビーガラスと呼ばれる深いルビー色のガラス板を使って撮影する方法です(写真のはじまり物語/雷鳥社刊 P35 参照)。
しかし、四つめのルビーガラスは高く付いたために、通常は一から三番目の方法で透明ガラスを使用していました。つまり、アンブロタイプは技法は進化していながらも、形態としてはダゲレオタイプと同じ、ということができます。また、歴史的に見ても写真に最も重量があったのが、このアンブロタイプでしょう。ガラスはヴァージニア州に入植したヨーロッパからの人々が生産をはじめ、18世紀末には工場生産が行なわれるようになりましたが、1850年代当時まだガラス板は非常に肉厚で、切り出しも手作業だったらしく、アンブロタイプのガラスネガティブの断面にはその痕跡が伺えます。
左右反転が簡単に行なえたアンブロタイプ
アンブロタイプは一枚ごとに露光が必要であることはダゲレオタイプと変わりありませんでしたが、左右を正しく見るために像を反転する必要はありませんでした。なぜなら、ガラス板の裏面を表として見れば左右反転は簡単に行なえたためです。この見方は像を不鮮明にしましたが、多くの写真家は像の不鮮明さよりむしろ左右が正体であることを望んでいたため、この時期のアンブロタイプには裏面を正体とするものが多くあります。そして、アンブロスは、左右を正体にするために裏面を表とし背後を黒くして像をポジティブとして呼び起こす、というプロセスについてパテントを取得しませんでした。なぜなら、1840年の時点でハーシェルがガラス・コロディオン法の解説の中で、そのことを示唆していたためです。このため、アンブロタイプという言葉が正式にパテント上に登場するのは1854年6月26日のイギリスにおける登記から、ということになります。
アメリカにおいてもアンブロタイプという言葉が使われるようになったのは、イギリスでのパテントの登記以降となるのですが、それでも初期の段階ではもう少し違った言い回しがされていました。例えば、1854年12月付のフォトグラフィック・アート・ジャーナルではフィラデルフィアからのニュースとして「リチャードとベッツの二人はとても美しいガラスのダゲレオタイプを見せてくれた。現在、多くの写真はその殆どが銀板によるものだが、この新しい技法はより正確に像の持つ雰囲気を伝えている。また、銀板に像を浮かび上がらせるダゲレオタイプのように目障りな反射やギラつきがない」と伝えています。
そして、この新しい技法はレン(Isaac Rehn1815-1883:アメリカ)によってフランクリン・インステテュートで紹介され、その際、アメリカではじめてアンブロタイプという名称が使われました。アンブロスはボストンで、そしてレンはフィラデルフィアでアンブロタイプを広めた第一人者ですが、アンブロタイプという名称は、フィラデルフィアのダゲレオタイピストであり写真史家でもあるルーツ(M.A.Root:アメリカ)の発案によるものです。彼はレンの友人ですが、レンにガラスに写し出された像を見せられた際、不滅あるいは永遠を意味するギリシャ語のアンブロトス(Ambrotos)から、アンブロタイプの名称を考案しました。
写真のはじまり物語ダゲレオ・アンブロ・ティンタイプ
アメリカの初期の写真、ダゲレオタイプ、アンブロタイプ、ティンタイプを、当時の人々の暮らしぶりと重ね合わせながら巡って行きます。写真はどのように広まったのでしょう。古い写真とみずみずしいイラストとともにめぐる類書の少ない写真文化史的一冊です。写真を深く知りたい人に。
安友志乃 著 定価1,890円(税込) 雷鳥社 刊
- コンプレックスを抱える男女のラブストーリー|デジタル短編映画「半透明なふたり」
- 博報堂プロダクツ シズルチームdrop 初の映像作品「1/2」
- カート・デ・ヴィジットの登場
- アンブロタイプの終りに
- アンブロタイプ パテント問題と衰退
- アンブロタイプから紙印画へ
- アンブロタイプのはじまり
- コロディオン法の登場
- ペーパー・ネガティブからガラス・ネガティブへ
- タルボタイプ(カロタイプ)の発展しなかったアメリカ
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