2010年12月14日
アルビュメン(卵白)に代わる新たな媒体剤
ヘリオグラフから出発した写真は、タルボタイプ(カロタイプ)、アルビュメン(卵白)を媒体剤とし紙に印画するビクターのアルビュメン・タイプ、紙のネガティブから紙のポジティブを起こすハーシェルのネガポジ法、ビクターのアイディアを元にウイップルの開発したガラス・アルビュメン、同じくビクターのアイディアを元にガラス・アルビュメンをネガティブとし紙やガラスにポジを起こすランゲンハイムスのハイアロタイプ、とさまざまな技法が考案されました。そして、1851年、フレデリック・スコット・アーチャー(Frederick Scott Archer1813-1857:イギリス)が新たなネガ法を発表します。それがコロディオン法(Collodion Process)です。
コロディオン法はガラス板にアルビュメン(卵白)の代わりにコロディオン(媒体剤)を塗布し、この溶液が濡れているうちに撮影を行い、硝酸銀溶液(感光剤)に浸して像を得る、というものです。媒体剤として使用されるコロディオンは、硝化綿をアルコールとエタノールの混合溶液で溶解させたシロップ状の粘性の液体で、語源は接着の意味を持つギリシャ語のCOLLEから来ており、1848年アメリカのメナード(Maynard)によって発明されました。
コロディオンに含まれるアルコールとエタノールは、ガラス板の上に広げると揮発し、透明の薄いフィルム状の皮膜が残ることになりますが、アーチャーが利用したのはこの特性で、彼は本来のコロディオンに像を得るための媒体剤となるようヨード剤を加えコロディオン法を完成させることになるのです。ヨード剤のアイディアはおそらくダゲールやドレーパーが銀板の感光のためにヨウ素を使用したことに基づくと思われます。また、撮影時のコロディオンの皮膜は完全に乾燥している場合は硝酸銀が効果的に作用しないため、ガラス板がコロディオン溶液で濡れているうちに撮影を行ない、硝酸銀に浸す必要があり、このことから日本では湿板写真という呼称で親しまれています。いずれにせよ、タルボタイプ(カロタイプ)、アルビュメン・タイプ、コロディオン法は1856年頃から1881年頃の衰退期までアメリカに広まってゆくことになりますが、1851年当時はまだヨーロッパにおいてもアメリカにおいてもその重要性は、一部の写真を学ぶ人々や学識経験者、あるいはジャーナリストが認識している程度でした。
広まらないコロディオン法の重要性
イギリスのロバート・ハント(Robert Hunt)は1851年、ロンドン・アート・ジャーナルにコロディオン法の重要性を解き、1852年、アメリカのフォトグラフィック・アート・ジャーナルでもマニュアルが紹介されました。そして、1852年の終りには多くのアメリカのアーティストたちがコロディオン法やその他のネガポジ法に挑戦したわけですが、そのほとんどは満足ゆく結果を得ることができませんでした。タルボタイプ(カロタイプ)とアルビュメン・タイプは不鮮明さが否めず、最新技法であるコロディオン法ですら難しかったのは、なんといってもガラス板に塗布するコロディオンは、その粘性と揮発性のため一気に均一にまんべんなく塗布するには熟練したコツが必要で、撮影する以前のガラス板の準備段階で失敗するケースが多かったためです。つまり、アルビュメン・タイプから発展したコロディオン法は、媒体剤の安定性はあるものの仕上がりの歩留まりが非常に悪かった、ということができます。今では想像することすら難しいのですが、当時はまだ像を得る作業に個人の勘や身体的な能力や経験が多く要求されていたのです。
実は、先に述べた1881年頃のこれらの技法の衰退期まで、ダゲレオタイプが生き残ったのは、像とプロセスの精度、薬剤や資材の安定性、それを取り巻く多くの人々がダゲレオタイプ産業に従事できたためで、実際、タルボタイプ(カロタイプ)とアルビュメン・タイプ、コロディオン法がアメリカに紹介された当時、すでにダゲレオタイプはすべての点に置いてほぼ完璧な状態でした。そのため、特に裕福層はこれらの新しい技法が紹介された当時でもダゲレオタイプを好んでいたため、ダゲレオタイプは他の技法に対して高価ではあったものの需要が途切れずにあったのです。
アメリカで普及してきたペーパー・フォトグラフィー
さて、アメリカでペーパー・フォトグラフィーの分野でまず成功したのはウイップルでした。ウイップルはガラス・アルビュメンにおけるアメリカのパテントの保持者でしたが、このガラス・アルビュメンをネガティブとして紙のポジティブを起こすクリスタロタイプ(Crystallotype)を考案しました。ウイップルはニューヨークのワールドフェアーにおいてクリスタロタイプで受賞し成功を収め、これを期にクリスタロタイプのプロセス、すなわちペーパー・フォトグラフィーがアメリカで一般に普及してゆきます。ウイップルはガーニー、ローレンス、ブレディらにニューヨークで、フィラデルフィアでマッククリースとガーモンに、そしてホワイトハーストが各地に所有しているギャラリーで、またセントルイスのフィッツボーンにプロセスのレクチャーを行ないペーパー・フォトグラフィーの発展に貢献しました。
写真のはじまり物語ダゲレオ・アンブロ・ティンタイプ
アメリカの初期の写真、ダゲレオタイプ、アンブロタイプ、ティンタイプを、当時の人々の暮らしぶりと重ね合わせながら巡って行きます。写真はどのように広まったのでしょう。古い写真とみずみずしいイラストとともにめぐる類書の少ない写真文化史的一冊です。写真を深く知りたい人に。
安友志乃 著 定価1,890円(税込) 雷鳥社 刊
- コンプレックスを抱える男女のラブストーリー|デジタル短編映画「半透明なふたり」
- 博報堂プロダクツ シズルチームdrop 初の映像作品「1/2」
- カート・デ・ヴィジットの登場
- アンブロタイプの終りに
- アンブロタイプ パテント問題と衰退
- アンブロタイプから紙印画へ
- アンブロタイプのはじまり
- コロディオン法の登場
- ペーパー・ネガティブからガラス・ネガティブへ
- タルボタイプ(カロタイプ)の発展しなかったアメリカ
- 言葉の誕生「Photography」「Positive」 ハーシェル
- ネガポジ法のはじまり タルボット
- さまざまな被写体の可能性
- カラーへの欲望 ヒル
- 価格の低下
- 世界を牽引するアメリカン・ダゲレオタイプ
- プロフェッショナルの登場 ガーニー
- プロフェッショナルの登場 ブレディ
- プロフェッショナルの登場 アンソニー
- プロフェッショナルの登場 プランビー
- プロフェッショナルの入り口で
- 一般への普及
- 失意のアメリカ写真の父
- ウォルコットとジョンソン
- ドレーパー
- モールス
- 露光時間
- 初期の化学者たち