人々の歩み

ドレーパー

第一章 1839-1845 ④

初期ポートレイトの発展に貢献したドレーパー

ドレーパーが最初のポートレイトに成功したことについては、1840年Philosophical Magazine 6月号に掲載の3月31日付のドレーパーから出版社宛の手紙に読むことができます。それによれば、その冬(1839年-1840年)にはダゲレオタイプ・プロセスでのポートレイトの撮影に成功したとあります。ドレーパーのポートレイトが成功した日付を多くの場合3月31日と間違って記載していますが、これは、手紙を出版社宛に書き起こした日付です。

1840年7月号The American Repertory of Arts, Science and Manufacturesのドレーパーの記述に「はじめてのポートレイトはごく一般的なレンズで昨年の12月に撮影した」とあることから、おそらく1839年12月にはポートレイトの撮影に成功したものと見て差し支えないと思われますが、ドレーパーは日記を付ける習慣がなかったために、それが定か否かを確認できません。

ドレーパーは1839年以降の10年間、薬品と光の関係性について研究を続け、その数え切れないほどの体験は、ダゲレオタイプ未体験の人々を導き、彼はまぎれもなくこの国のダゲレオタイプ・ポートレイトの初期の発展に貢献した人物です。

化学的実験と知識により感光スピードの問題を解決

ドレーパーはまた、ダゲレオタイプ・プロセスが公開されるとすぐさまポートレイを写す際のダゲレオタイプ・プロセスの心もとなさと問題点を的確に示し、銀板の感光のためには大量の光量が必要であることを指摘しました。そして、このような迅速な対応ができたのは、彼がダゲレオタイプ・プロセスが公開される二年前(1837年)から独自で像を定着させるための化学実験を試みていたからです。

ドレーパーは、初期のポートレイトの撮影で直径4インチのショート・フォーカス・レンズを使用していましたが、このレンズは当時のダゲレオ用のレンズより4倍明るく、露光時間を1/4に縮めました。つまり、ドレーパーの化学焦点と光学焦点に関する考察は、極めて初期の段階で証明されていたのです。と同時に、彼は、少なくとも銀板の感度を改良したはずです。ダゲールは銀板の感光のためにヨウ素を使用していましたが、化学者であったドレーパーは、化学的に見れば塩素と臭素がヨウ素と非常に近い物質であることに気づいていたでしょうし、ヨウ素の代わりに塩素と臭素を単独で、あるいは混合して実験したはずです。このことは、その結果、彼が塩素を使って銀板の感光スピードを速めたことに見て取ることができます。つまり、プロセスが公開されてから1年以内、少なくともその前後には銀板の感光スピードの問題は解決できていたのです。

ドレーパーが残した世界最古のポートレイト

結果としてドレーパーは1840年の夏、姉妹の一人ドロシー(Dorothy)の肖像を撮影します。ちなみに、このポートレイトは1930年代初めにはすでに像が消滅していますが、1893年、ドレーパーの息子ダニエル(Daniel)によって複製され、アメリカ歴史博物館(NATIONAL MUSEUM of American History)に今も収蔵されています。そして、これが現存する世界最古のポートレイトです。

さて、その撮影日がいつであったのか特定することはできませんが、ドレーパーは1840年7月28日付けでイギリスの化学者ハーシェル(Sir John Frederick William Herschel)宛てに撮影の内容と撮影したダゲレオタイプを送っています。手紙によればドレーパーは、露光時間は65秒であった、としており、これは初期のダゲレオタイプの平均的露光時間が10分から20分かかったことから比べると驚異的な短さです。また、彼は非常に器用で、カメラ・ボックスは木製の葉巻の空箱に4インチの穴を開け、ダゲールが推奨したアクロマティクレンズではなく、普通の眼鏡用のレンズ二枚を凸レンズとして可動できるよう組み込み、焦点距離16インチに設定したものを使用しています。また、ロンドンでもフランスでもまだ誰もポートレイトに成功しておらず、私がその一人目である、と結んでいます。この手紙の日付からして、ドロシーの肖像は1840年7月28日以前に写されたことがわかります。

この手紙に対してハーシェルは、1840年10月6日の返信で露光時間の短さに感嘆するとともに、イギリスにおいてもこの分野の研究者が多い中、実験中であるにもかかわらずドレーパーがその成果と詳細を惜しむことなくまず自分に伝えてくれたことへの感謝を述べ、ダゲールの推奨したアクロマティクレンズを使わなかったことは特筆すべきことだ、としています。

後進たちに道を開いたドレーパーの研究と体験

1840年9月、こうしたドレーパーの一連の研究は公にされましたが、その中でドレーパーはモデルの顔にコントラストをつけるために小麦粉をはたいています。また、いくつかの点で機材では改良できず、その中の一番の問題であった光量については、太陽の光を鏡に反射させ解決をはかっています。また、太陽光の反射ではモデルの瞳の輝きまでは写し取ることができなかったため、モデルと反射光との間に青い鏡を入れましたが、このアイディアは後に紹介するウィルコットから得たものです。また、被写体の服装の色にも着目し、グレーがかった服や軍服はよく写り、軍服の勲章も美しく写しだされ、モデルの動きを固定するための用具は撮影に必須であるとしています。

ドレーパーは初期の写真について「細密画(ダゲレオタイプ)の目を見張るべき点は、その完全なる類似性にあるが、しかし、必ずしもそうではない。もちろん、個々の特徴はそのままに写しだすが、黄色がかったほくろ、あざ、そばかす、いぼ、などはダゲレオタイプでは悲惨な結果となる。黄色の点はダゲレオの中では単なる黒い点となるからである。瞳は非常に美しく再現することができ、アイリスの花びらの尖ったようす、花弁の中の黒い点など、生きた姿がそこにある。絵描きたちが描くために最終的にこれを用いたことが大いに納得できる」と記しています。

ドレーパーは初期の写真において非常に多くを試み、また撮影した初期のダゲレオを海外へ送り、自身の体験を本として出版し、世界の化学者たちの考察の基となりました。そして、モールスとともに、ポートレイトの発展と、これから出てくるポートレイト・フォトグラファーという新しいジャンルの職業を切り開く先駆けとなったのです。

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