人々の歩み

タルボタイプ(カロタイプ)の発展しなかったアメリカ

第三章 ③

更なる改良を加え、海外に進出するタルボタイプ

タルボットが独自のプロセス(タルボタイプまたはカロタイプとも呼ばれる)を公開した後、プロセスは感度の問題を中心にさまざまな改良が成されてゆきますが、アマチュア化学者、リード(J.B.Reade1801−1870:イギリス)も改良に参加した一人で、タルボットはリードの協力を得、1841年オリジナルのプロセスに改良を加えたことを報告しています。その内容は食塩の代用としてヨウ化カリウムを使用すること、そして、硝酸銀化を進めるために没食子酸を使用する、というものでした。この改良によって感光スピードが上がり、ポートレイト撮影を可能にしたと同時に、ハーシェルが推奨したポジティブを作成するための印画紙の供給効率を上げることに成功しました。また、タルボットはネガティブでハイライトをより効果的に得るために、ネガティブをワックスコーティングすることも勧めています。

1841年はまた、タルボットがタルボタイプについてイギリスと海外でパテントの取得に乗り出した年でもありました。タルボットがパテントを申請したのは前記の改良を加えたカロタイプのプロセス、像を鮮明に再現するため裏側を着色した印画紙、定着のためのハイポの熱溶液の使用、作成したプリントなど多岐にわたります。特筆すべきは、改良を加えたカロタイプのプロセスのパテントが、1841年2月8日付でイギリス国内において施行されたことです。つまり、タルボタイプは、タルボットのこの申請によって、自由に誰でもが使用できる技法とはならなかったのです。ちなみに、アメリカではイギリスと同一のこのパテントが1847年6月20日に施行されています。

複製可能なタルボタイプが産業に貢献しなかった理由

さて、アメリカでダゲールとタルボットがカメラオブスクラの像の定着に成功したことが新聞によって伝えられたのは1839年3月。また、ダゲールのプロセスの詳細がアメリカにおいて明らかにされたのは1839年9月20日、同じようにタルボットのプロセスが明かされたのは1839年2月と4月です。つまり、二つの技法はほぼ同時に公平にアメリカに知らされ多くの化学者たちを魅了しました。特にタルボットの考案したタルボタイプは、複製が可能であることからその注目を浴びました。1858年、ドレーパーはタルボタイプで家、木々、人物などさまざまな被写体を撮影し、データの集積に務めたことを報告しており、タルボタイプはダゲールのダゲレオタイプよりも更に重要である、とその報告を締めくくっているほどです。

しかし、タルボタイプに複製が可能である、という大きな利点があったにも関わらず、人々を魅了せず、この時点で産業を押し上げる要因ともならなかったのは、タルボタイプによって再現された像があまりにも不鮮明であったと同時に、プロセスに非常に時間がかかったためです。また、そのことが理由で、タルボットが感度を向上させた新たなパテントを登録した後ですら、アメリカのプロの写真家たちは、誰もタルボタイプに興味を持たなかったのです。実際、アメリカではタルボットのパテントをランジンハム・ブラザースが所有し、プロの写真家たちにこのパテントを利用するよう積極的に推し進めましたが、成功することはなく、それに挑戦したわずかなプロたちでさえ不鮮明さに根を上げ、しまいにはダゲレオタイプに戻ってゆきました。それもそのはずです。なぜなら、写真を生活の糧とする多くのプロの写真家にとって、鮮明な像を写せるか否かは死活問題だったのですから。

ドレーパーがネガポジ法の重要性を説いたのはアメリカでそれが公表されてから18年後、しかも、その間、再現性の鮮明さはダゲレオタイプに匹敵するほどには改良されていなかったのです。ドレーパーは間違いなく優れた化学者ではありましたが、あるいは、であったからこそプロの写真家たちにとって、それが死活問題であるという社会的な認識にはうとかったのかもしれません。

プロに代わり趣味として研究を進めた若者達

そんなわけで、プロの写真家たちはタルボタイプを使うことはありませんでしたが、逆に趣味として写真を写していたアマチュアたちの中には何人かがタルボタイプに興味を持って研究を進めた記録があります。その理由は、ダゲレオタイプよりもタルボタイプの方が安くあがり、時間はかかったものの複製できるという利点があったためで、特に、多くのアメリカの初期写真に興味を持ったアマチュアたちのほとんどが化学に興味のある若者たちでしたから、若者の趣味としてはとても魅力がありました。

例えば、1840年の記録によれば、フィラデルフィアのアイザック・リー(Isaac Lea 1792-1886:アメリカ)は、その年の2月に行われたアメリカン・フィロソフィカル・ソサエティーに数点のタルボタイプを持参し、17歳の息子ケリー(Carey Lea1823-1897:アメリカ)がこれを撮影したのだ、と誇らしげに人々に見せています。17歳で写真に対する父親の理解を得たケリーは、1897年に亡くなるまでプロとはならなかったものの、生涯にわたって光学と化学の研究を行ない、その功績は光合成の分析や、ケリー・リー・シルバー(Carey Lea Silver)と呼ばれ現在でも使用されている写真薬品を開発したことで知られています。

また、ボストンの22歳の青年チャニング(William F. Channing1820-1901:アメリカ)は1842年、タルボタイプを綴った体験談を出版し評価を得ました。チャ二ングによれば、タルボタイプを用い、2月の光であれば建物を写すには1分、一般的な風景であれば4分から5分の露光が必要である、としています。チャ二ングは薬学を学び、後に化学に興味を持ち、最終的には現代でも使用される電子時計の考案者の一人となりました。

その他にも、ボストンのヘル(Edward Everett Hale1822-1909:アメリカ)ロングフェロー(Samuel Longfellow1819-1892:アメリカ)がマサチューセッツ・ホールの窓から大学図書館をタルボタイプで撮影し、後にハーバードの教授となったコック(Josiah Parsons Cooke 1827-1894:アメリカ)は、1842年、15歳の時にボストンの市庁舎と美術館、図書館などを撮影しています。そして彼ら以外にも多くの化学に関心のある若者がボストンで学んでいたため、当時のボストンはいわばタルボタイプのハブのような役割をアメリカにおいて果たしていたのです。なお、彼らのタルボタイプは現在でも保管されています。

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