2022年04月18日
南雲暁彦
凸版印刷 ビジュアルクリエイティブ部
チーフフォトグラファー
1970年神奈川県生まれ。幼少期をブラジル・サンパウロで育つ。世界約300都市以上での撮影実績を持つ。日本広告写真家協会(APA)会員。多摩美術大学、長岡造形大学非常勤講師。
1/15s f8 ISO100
撮影協力:深堀雄介
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写真の世界で黄金分割というと、アンリ・カルティエ=ブレッソンが撮影方法に取り入れたダイナミックシンメトリーが有名だが、スマホのカメラアプリで構図を決めるために黄金比率の対数螺旋を使っているものを見て、違和感を感じた。これは最も美しい螺旋としてオウムガイやアンモナイトを例に紹介されてきたものなのだが、調べてみるとどうやらそれは間違いであるらしい。
実際にオウムガイの殻を撮影し検証してみると、オウムガイの対数螺旋は黄金比(黄金短形)からなる対数螺旋とは一致しない。まことしやかに言われてきたオウムガイ黄金比率説は事実では無い。このように黄金比率だと言われてきたものが、実はそうではない真実は他にもたくさんあるのだ。
僕がここで言いたいことは、ではこのオウムガイは完璧ではなく美しくないのか、という話である。
【使用機材】
カメラ&レンズ
〈オウムガイ・ロマネスコ〉
Canon EOS R
OLYMPUS ZUIKO AUTO-MACRO 90mm F2
〈ポインセチア〉
Leica SL2-S
Leica Vario-Elmarit-SL f2.8/24-70mm ASPH.
ライト
GODOX SL200II
撮影したオウムガイの殻に黄金比率の螺旋を重ね合わせてみた様子。
撮影の流れ
メインカットをどのように撮影したのか順を追って説明していく。
使用機材やライティングセットの参考にしてほしい。
1. 被写体と使用機材
OLYMPUS ZUIKO AUTO-MACRO 90mm F2
GODOX SL200II
被写体は約12cm幅のオウムガイの殻を二つに割った物で、きれいに磨きがかけられている。撮影にはなるべく断面が美しくカットされ、螺旋がはっきりとしている物を選ぶと良い。
レンズはOLYMPUSの銘玉ZUIKO AUTO-MACRO 90mm F2。アダプターを介してCanon EOS Rに装着した。こういうことができるのがミラーレスの面白いところだ。もはやネオクラの領域に入った古いレンズだが描写はクラシックな味ではなく普通にフォーカスもグラデーションもボケも素晴らしい。
光源はGODOXのLEDライトにバーンドアを装着して使用した。
2. ライティングとセット
セット全体の様子
Manfrottoのギアヘッド
黒布を小さな台に敷き、その上に被写体を乗せる。断面を水平に合わせ、真上にカメラをセットした。
メインビジュアルはオウムガイの螺旋なのでそれを暗闇に浮かび上がらせるために、浅い角度で断面を舐める様にライティングしている。少しだけオウムガイの殻自体にも光を透過させ、上部にラウンドしたアウトラインを作り出してみた。加えてレフ板を使用して、パール状に青く光る部分に反射を当ててライティングは完成だ。
今回使用したレンズは、絞りリングが付いているレンズなので、ミラーレスカメラとの組み合わせで、被写界深度の確認がしやすい。
バリエーション
メインビジュアルとは被写体を変えて撮影。
被写体の持つ魅力を見極めながら、それを写真に落とし込む。
上:1/5s f16 ISO100 下:1/8s f11 ISO100
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バリエーションでは自然界に多く存在する規則的な数列、フィボナッチ数列を持った被写体を選んでみた。
画像下の赤い被写体はポインセチア。花の様に見えるが葉っぱである。透過光と直接光を組み合わせ、透明感がありつつも発色の良いライティングを施している。
ポインセチアは葉の生え方が一定の角度で螺旋状に生えていて、最も効率よく日の光を受けられるように、最小限の重なりになっているそうだ。その角度は約137.5度、これを黄金角といい、フィボナッチ数の葉序だということらしい。
画像上の緑の被写体はロマネスコ。これもその螺旋がフィボナッチ数で並んでおり、一部が全体と自己相似な構造を持つ、フラクタル構造の野菜だ。こちらはそのディテールをはっきり見せるようにコントラストの強いライティングを施した。
さて、ご覧になっていただいてどう思うだろうか。
比率と分割線
今回登場した黄金比と合わせて、日本人に馴染み深い白銀比、
写真の構図で有名なダイナミックシンメトリーについて、図を用いて詳しく説明する。
1. 黄金比率とその螺旋 〈1:1.618〉
一般に、黄金比は多くの自然物に見られ、いわば自然界に存在する調和の比率。人間に とっても、安定した最も美しい比率と言われている。その比率は1:1.618となっている。
この黄金比率の螺旋がオウムガイやアンモナイトとの対数螺旋と一致すると言われていたが実はそんなことはなかった。最も黄金比率が一人歩きした例だといえる。
ちなみにフィボナッチ数列の隣あう数の比は、限りなく黄金比に近づいていくという不思議な性質を持っている。
2. 白銀比 〈1:1.414(√2)〉
黄金比と並んで有名な比率が白銀比。これは大和比とも言われ、和風のデザインによく見られる。仏堂などの日本建築で多く使われており、紙の規格にも採用されるなど、日本人にとってはお馴染みの比率だろう。
最もよく見られるA判の比率はこれで、雑誌などにも多用されている。A4タチ落としや、A3見開きで写真を使うという場合は、これを意識せざるを得ない。フォトグラファーにとっても重要な比率であり、この中にうまく収まった画角を作ることも多い。
3. ダイナミックシンメトリー 〈3分割と対角線〉
上記の比率とは意味合いが異なるが、写真撮影において分割線と言えば、このダイナミックシンメトリーが有名。アンリ・カルティエ=ブレッソンが撮影方法に取り入れた3分割グリッドに複数の対角線を描いたものだ。
単純に画面の中央に被写体を持ってくる「日の丸構図」に対し、より写真的な構図を作るためのガイドライン的な役割を持つ。もちろんこれもベーシックであり、縛られる必要はないが、覚えておいて損はない。どう使いこなすか、どう発展させるかが肝心なところだ。
黄金比の呪縛からアートを解き放つ
僕はアンモナイトやオウムガイを美しいと感じ、よく被写体にしてきた。これは対数螺旋という渦巻を持つもので、台風や銀河の渦、隼が獲物に近づくときに描く螺旋というように、自然界の色々なところに存在する螺旋の一種だ。拡大しても縮小しても回転すればぴったりと元の螺旋に重なるという性質を持っており、人工物ではレオナルド・ダ・ヴィンチの設計したバチカン美術館の二重螺旋階段は真上から見ると対数螺旋になっているという。アンモナイトは人間よりもよっぽど長い期間地球上で繁栄し、その年代の長さと豊富な量から示準化石のひとつとなっているのだが、きっと環境に適応し、生き残るためにこういった完成された形状になっていたのだろう。僕はそう言ったところに磨かれた美しさを感じていたし、様々なアートの対象となるにしかるべき螺旋だと思う。ここまでは良い。
冒頭にも書いたが問題はここからだ。このアンモナイトやオウムガイの螺旋は黄金比を持った対数螺旋で、それが美しさの秘密だと定説のように言われているのである。ところが今回の撮影でも実証したようにオウムガイの螺旋は黄金比の螺旋とは全然合わないのだ。これは一体どういうことだ。
そして一応やってみたが、アンモナイトとオウムガイの螺旋を比べてみてもそれは重ならない。それは生物の持つリアルな個性とでもいうものか、各々が持つ美しさなのでは無いだろうか。
やはりひとつの尺度に当てはめてしまうのはナンセンスだ。僕には数学的、デザイン的に完璧だというそのようなものより3億5千年もの間栄えたアンモナイトや今もその姿で存在するオウムガイの螺旋の方がよっぽど魅力的に思える。
他にも黄金比で作られていると言われているものが沢山あるが、有名なパルテノン神殿も名刺のサイズも、実は黄金比にはなっていないことが最近言われ始めた。黄金比という言葉が一人歩きして、それが物に価値を与える呪文のようになっていたのだ。これは、あの絵画は誰が描いたから、値段が高いから、有名だから、「良い物だ」という審美眼を無視した価値基準に近い。
ひとつの基準ではあるが、クリエイターは特にそれに縛られてはいけないと感じる。もちろん黄金比率の対数螺旋を写真の構図を決めるガイド線にするのは全くおすすめしない。やってみればわかるが、まったく合わせづらいし、ろくな構図にならない。それより撮影で大切なことは、被写体をしっかりと見つめることだろう。なんでもかんでも黄金比率は偉いというところから生まれたナンセンスな呪縛のひとつだ。写真表現はもっと自由で良い。
もしガイドが欲しいならダイナミックシンメトリーをおすすめする。これは基準ではなく基本に近い。実際にここから名作も生まれているし、発展にも繋がるシンプルな分割線であるからだ。
フィボナッチ数列に基づく植物の代表として、ヒマワリの種のつき方がある。これは最も効率よく密集させて、種をつけるための並び方(法則性のある角度で渦を巻くように並んでいる)と、それがフィボナッチ数列になっていることを結びつけて「一致している! ヒマワリ凄い!」となっている。確かに基本的にはそうなのだが、実際にはヒマワリの都合で、この配列は外側にいくに従って変わっているものが多い。
今回撮影したポインセチアとロマネスコもご覧の通り、フィボナッチ数列の角度で葉が生え、フラクタル構造の体が基本になっているが、完璧な形にはなっていない。人の顔と同じでひとつとして同じものはない個性を持っている。そういった個性に対してアングルを決め、ライティングを施し、自分の想いをのせて撮影していくことがこちらの礼儀である。
フィボナッチ数列は完璧をもたらすものかもしれないが、実際はそれだけでは割り切れないのが自然の世界で、植物だってそうなりたいのかもしれないが、各々の様々な事情から少しずつ完璧から外れていく。そこに個性が生まれ、面白い一期一会が生まれていくのだろう。
僕は数学者でも生物学者でもないので写真家という表現者の立場からこういった自然からのフォルムの捉え方を述べているが、こういう個性は大事にしたいし、黄金比みたいな絶対値を突きつけられると逆にそんなの当たり前だろと思ってしまう。それは単純に見慣れた比率であり、日光を受けるための、密集するための、効率の良い数字にすぎない。ひとつの奇跡的な数学的美学、ということなのだと思う。自由な表現や創造においては、そんなものが美しいとされる金太郎飴みたいな世界がどれだけつまらないか。
自然からのフォルムは、時間に磨かれて生き残った完成度や美しさを示す一方で、ひとつの黄金比などにおさまらないことを逆に教えてくれる。
写真表現という芸術のなかで数学的な完璧に飲み込まれず、目の前の真実を捉え、一つ一つと対峙していくべきだと思うのだ。答えはひとつでは無い。
※この記事はコマーシャル・フォト2022年3月号から転載しています。
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- Vol.9 存在が放つ光
- Vol.8 黒い世界
- Vol.7 白い世界
- Vol.6 自然のフォルムと黄金比率の真実
- Vol.5 レンジファインダーカメラを知っているか
- Vol.4 プロも無視できないiPhone撮影の実力
- Vol.3 ラージフォーマットの限定解除された表現力
- Vol.2 ミラーレスカメラの可能性
- Vol.1 一眼レフカメラの存在意義