2022年10月07日
南雲暁彦
凸版印刷 クリエティブコーディネート企画部
チーフフォトグラファー
1970年神奈川県生まれ。幼少期をブラジル・サンパウロで育つ。世界約300都市以上での撮影実績を持つ。日本広告写真家協会(APA)会員。多摩美術大学、長岡造形大学非常勤講師。
1/500s f2.8 ISO1600
撮影協力:深堀雄介
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実際に水と油を混ぜてみるとどのようなことが起きるのか、刷り込まれたステレオタイプ的な言葉からのイメージではなく、リアルな水と油のビジュアルを撮影し、フォトグラファーが発信するそのイメージを作り上げてみたいと思う。
ガラスの容器に水を溜め、色々な油を垂らして表情を作り、真俯瞰でマクロレンズを装着したカメラを設置する。底面からiPadで任意のビジュアルを表示し透過光にして、色彩や明暗を作っていく。至ってシンプルなセットだがiPadで表示するビジュアル次第で、大きく変化する。また、iPadとは別の背景素材として、カラフルな本も背景として用意した。
一口に水と油と言っても「混ざらないもの」という単純な言葉では表現しきれない繊細で美しく多様な「世界」いや「宇宙」と言っても良いような表情を見せる。無限とも思えるこの極小へ広がる水と油の宇宙の魅力を撮影しながら堪能する。
【使用機材】
カメラ&レンズ
Leica SL2-S
SIGMA 105mm F2.8 DG DN MACRO | Art
SIGMA TELE CONVERTER TC-2011
ライト
GODOX SL200II
Apple iPad mini
言葉のイメージと実際のイメージは大きく異なっていることを知る。
撮影の流れ
メインカットをどのように撮影したのか順を追って説明していく。
使用機材やライティングセットの参考にしてほしい。
1. 被写体と使用機材
Leica SL2-S + SIGMA 105mm F2.8 DG DN MACRO | Art + TELE CONVERTER TC-2011
様々な色と粘度のオイルとスポイト
iPadには自分の作品を入れておく
カメラはLeica SL2-Sを使用。レンズはSIGMA 105mm F2.8 DG DN MACRO | Artに2倍のテレコンバーターTC-2011を装着する。Capture Oneでテザー撮影だ。思いのほか小さい水と油のディテールに対応してくれる。
油はオリーブオイルやサラダ油など色々と用意して試してみた。また油を水に垂らすための大きめなスポイトも必需品だ。基本的にこのスポイトの使い方でオイルと水の表情は決まってくる。ガラスの容器はなるべく刻印などがないプレーンなものを使うと良い。
背景には、様々な画像を表示したiPadと、カラフルな表紙の本を用意。
2. ライティングとセット
セット全体の様子
撮影時の状況
背景を本のような反射原稿にする場合は、その為のライトが必要となってくる。今回はユポ越しに1灯LEDを仕込んだ。このライトで背景の明るさと、オイルが球体でいる間(オイルは垂らして時間が経つと、ほぼ2次元の円になっていく)のハイライトを作っていく。
iPadを背景に使う場合は、LEDを使用しなくても、iPad自体を光源にした1灯だけでも撮影できる。
背景はガラス容器の下にガラス板をかませて距離を置くことで、ボケ具合や使い所をコントロールしていく。非常に繊細な作業だが、これが世界観の構築の肝となるフローだ。
バリエーション1
水と油を使って様々なビジュアルを構築していく。
混ぜてからの時間の経過や背景によって全く違う表情を見ることができる。
1/320s f2.8 ISO1600
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煙の一瞬の表情やパウダーが飛び散る瞬間などと同じように、想像と肉眼を超えた世界がここにもあった。水と油は混ざらない、という単純な言葉とはもはや結びつきようがない不思議さ、面白さ、美しさを次々と作りだすことができ、いつまでも撮影を続けていきたい気持ちになった。
ただ最初は思った通りに水と油の境界線が表現出来ず、特性を理解するまでは苦戦したことも記しておこう。
メインカットは勢いよくオイルを噴射し、数十秒だけオイルが球体でいる間を狙ったものだ。
このバリエーションはしばらくしてぺったりと馴染んだ状態で、これは逆にしばらく待たないと出てこない表情だ。こうなるともうハイライトは立たないので、平面構成のような面白さに変わる。
バリエーション2
さらに新たなビジュアルを追求していく。
想像力と好奇心をさらに働かせ、感じたことのない世界観にのめり込む。
1/1000s f2.8 ISO6400
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このビジュアルを見て「水と油」とすぐにわかる人がどれくらいいるのだろうか。
これはあまり色の付いていない油を水に垂らし、それを強めに攪拌した時にできるビジュアルだ。もはやどこが水でどこが油なのか良くわからないが、大きなうねりの中で力がせめぎ合い、苦しそうな表情にも見えてくる。
「水と油は混ざらない」。時間軸と共に変化を見ながら、それを一番感じたのはこのカットかもしれない。
まるで画面下から二人の人間がこの世界をかき分けて進んでいこうとしているようにも見える。それが世の中で踠きながらなんとか生きようとしている自分みたいだなと思ってしまった。
このあと訪れる平和にたどり着けると良いのだが。
哀しみを超えて
「水と油」というテーマは単純にビジュアル的な面白さだけを求めて決めたものではない。この言葉が象徴する「相性の悪い」「仲の悪い」「混ざり合わない」「犬猿の仲」という人間界の現象を、この撮影を通じてもう一度考えてみようと思ったからだ。ちなみに英語でも「Oil & Water」と言い、順序は逆だが同じネガティブな意味合いを持つ。
普通に水にオイルを浮かべてみると最初は球体をしていて非常に美しいが、水としてはそれは自らに浮かんだ異物感の塊だし、油にしてみたら異世界に放り込まれて、ガードを固めた状態のように見える。P89のカットがその状態だ。異文化同士が接触したときの緊張のようなものが感じられ、純粋さが持つ力強さが別のフィールドで際立って見えるという良さが出ていると思う。
それがしばらくするとその球体がほぐれ、平べったい円として広がっていく、境界線もあまり強く見えず、異邦人がその土地に馴染んでガードを解き、リラックスしたような様子にも見えてくるのだ。それがバリエーション1のカットだが、これはこれで静かで平穏なビジュアルとなり、違う者同士ながら安定した状態を見せているように感じる。
これを見て、僕は自分が幼い頃日本を離れ、異国の地に移住した時のことを思い出した。日本で生まれ育ち、全ての基準がそこにしかなかった僕は、それまでと全く違う空気に包まれた世界に降り立ったとき、360度自分の周りだけに漂う日本という球体の中にいた。
飛行機から降り立った人々が水面にスポイトで落とされたたオイルのようにポロポロと異国に散らばっていったかのようだった。それがそこに住み始め、慣れて居心地が良くなってくる。球体のガードを解き、円になってフィールドを広げていくように、その場に馴染んでいった。水と油のビジュアルはまさにそういう感覚を思い起こすものだったのだ。
僕が言いたいのは、混ざらないことを「相性が悪い」「仲が悪い」というように捉えたくない、ということだ。それは違いであり、尊重すべき存在としてもあるものだ。国々でも個人個人でも「自」は確固として存在し、各々尊厳を持ったものだと思っている。水と油のビジュアルは美しい。これをネガティブな比喩として使うにはあまりにも純粋な美しさを持っている。水と油だから争うのは仕方がない、と思う時代を変えていく時が来ているとも感じる。
どんなに混ぜても混ざらないものを無理やりかき混ぜても、やはり自分の形に戻っていく。それがバリエーション2のカットだ。ピクトグラムのような二人の人間が自らの姿に戻ろうと手を伸ばしているように見える。もちろん偶然だが、そういうことかと撮っていてドキッとした。
水が油になることも、油が水になることもない、そのままでいればいいのだ。それが一番美しい姿だ。
水と油は物理的には界面活性剤を使えばエマルジョン化(乳化)という状態で混ぜたようにできるが、濁って美しくない。極端な言い方だがミサイルで無理やり国境を破壊したような無理やりさがある。実際エマルジョンは便利なものだが、ここではビジュアル的に濁るというところだけ捉えて欲しい。
いい意味での融合はもちろん世の中に沢山存在する。それはそもそも水と油ではなくて、コーヒーと牛乳みたいな関係だったのだろう。そうやって進化、多様化していくことは素晴らしい。一方、水と油は確かに混ざらない、でも人がそのように生み出してきた哀しい歴史を変えていきたいと思うのだ。
水と油を撮っていて、世の中の存在がいかにしてお互いを尊重しながら共存できるのか、などというところに思考が飛んでしまった。水と油だってお互いのままにこんなに美しく在ることができる。人間は今まで水と油は相性が悪い、仲が悪いという喩えとして使ってきたが、お互いを際立たせる対局の存在、ぐらいに考えて生きていく方が建設的なのではないだろうか。
今強く、平和を願う。そんな想いが世の中に存在する。ネガティブな表現すら変えていきたいという意思に繋がったのかもしれない。お互いがそのままの形で、美しい世界を作っていけるように願いを込めて。
※この記事はコマーシャル・フォト2022年7月号から転載しています。
関連書籍1
当連載を一冊にまとめた「IDEA of Photography 撮影アイデアの極意」。カメラ篇・被写体篇・レンズ篇の3部構成で、15点の作品を解説と合わせて掲載。また、コラム「ブツ撮りエフェクトアイデア」では、被写体を際立たせるために施す7つのアイデアを用いた作品も掲載。フォトグラファーはもちろん、写真を扱う全てのクリエイターにとって、ビジュアル設計の引き出しを増やすための助けとなる1冊。
価格は2,300円+税。
関連書籍2
筆者・南雲暁彦氏の著作「Still Life Imaging スタジオ撮影の極意」。格好良い、美しい、面白いブツ撮影の世界をコンセプトに、広告撮影のプロによる、被写体の魅力を引き出すライティングテクニックや、画作りのアイデアが盛りだくさんの内容となっている。
価格は2,300円+税。
- Vol.15 ─ Beautiful World ─ 「Sony FE 12-24mm F2.8 GM」
- Vol.14 ─ Phantom Shooter ─ 「SIGMA 150-600mm F5-6.3 DG DN OS | Sports + TELE CONVERTER TC-2011」
- Vol.13 ─ The New Standard ─ 「Canon RF100mm F2.8 L MACRO IS USM」
- Vol.12 ─ The Nocturne(夜想曲) ─ 「Nikon NIKKOR Z 58mm f/0.95 S Noct」
- Vol.11 ─ Drawing highlight ─ 「Leica Noctilux-M 75mm f/1.25 ASPH.」
- Vol.10 美しき境界線
- Vol.9 存在が放つ光
- Vol.8 黒い世界
- Vol.7 白い世界
- Vol.6 自然のフォルムと黄金比率の真実
- Vol.5 レンジファインダーカメラを知っているか
- Vol.4 プロも無視できないiPhone撮影の実力
- Vol.3 ラージフォーマットの限定解除された表現力
- Vol.2 ミラーレスカメラの可能性
- Vol.1 一眼レフカメラの存在意義